日中戦争がバス停普及を後押し 石油切符配給制開始で



 「ガソリンの制限で自動車業者大狼狽」と見出しを付けた記事が、1938(昭和13)年4月28日付信濃毎日新聞朝刊に掲載されました。日中戦争に絡んで5月1日から始まる初めての石油配給切符制(第2次石油消費規制)を前に、長野県上田市を中心とした交通各社の混乱ぶりを紹介しています。写真は 配給制度開始前日の信濃毎日新聞夕刊(1938年5月1日付4月30日発行)で、長野市を中心とした状況を「さあ停留所も出現 バック、たちまち10銭 あすから足の異変」と記事にしています。

1938(昭和13)年4月28日付信濃毎日新聞朝刊記事を、著作権切れ受け転載しますと、以下のようです。適宜休字を手直しし句読点を補助しました。(以下転載)
 「ガソリン国策に伴って上田市を起点とするバス網は来る1日から一斉に停留所を設置、冗費節約を厳守することになったが、去る24日上小自動車業者に交付されたガソリン切符バス3分の1以上、ハイヤー約半数、トラック約半分の使用制限に対して業者はこれが対策に腐心している。即ちハイヤー、トラックは1日から一斉料金1割値上げを断行する一方、夜間運転に対する値上げ方針も協議中で、バスは停留所設置のほか会社によっては発車回数を制限し極力ガソリン消費を防ぎ収入源防止に腐心しているが、トラック業者のごときは東京往復1台が1か月5回に急制限されたわけで、専業者のショックは予想以上大きい模様である」(転載ここまで)

 ここで「停留所設置」になぜ、と思われた方も多いでしょうが、主なところを除き、それまでは各バスとも、路線上であれば客が手を挙げれば止まって乗せていたのですね。「昔のバスは手を上げたら止まってくれた」というお年寄りの回想は、このころまでの実体験です。では、なぜ停留所にしたのか。それは、バスの停車発車を繰り返すと燃料消費がかさむから…。本当に涙ぐましいことです。

 ちなみに、石油配給切符制度の根拠法は1938(昭和13)年3月7日付けの商工省令「揮発油及重油販売取締規則」。そして商工省がこんな強力な命令を、議会を通さず出せるのは、日中戦争勃発間もなくの1937(昭和12)年9月10日に交付施行された「輸出入品等に関する臨時措置に関する件」という法律があるからでして、政府が「支那事変」に関連して需給調整を必要とするものは、制限など必要な命令ができるというもの。石油配給制度も、その法律に基づいた命令の一つとなります。軍需に必要といえば民間で利用するものを何でも規制できるという、とんでもない内容ですが、戦争となると、この程度のものはさっと通ってしまい、あとは政府のなすがままです。

 配給制度開始前日の信濃毎日新聞夕刊(1938年5月1日付4月30日発行)もどうぞ(以下転載)
 「…去る25日から今日まで県下一斉に交付された購買券を各業者は手にして『今更ふたを開けてびっくり』の態で、ある業者を叩いてみると、一日当たりガソリンの支給量は大体ハイヤー3ガロン=センター注・11・4リットル=、バスが5ガロン半=同・20・8リットル=、トラック6ガロン=同・22・7リットル=位の見当らしい。これじゃ従来の消費量に比較して5割方の激減と業者は悲鳴を上げている。従って従前通りの経営方法では月の前半は働いて後半は開店休業せにゃならんわけである。そこで対策を打診してみるといずれも名案が無くて困りぬいているが、長野のトラック屋さん方はあっさり5月1日から3割の値上げを決議、需要者に負担転嫁というわけ」
 「一方、長野市内の宇都宮、川中島の両バスは停留所の増設、毎10分発を20分発に変更、不経済線の廃止、減車の実施によって対処すべく許可申請書を提出するらしい。なお、遊覧バスも20銭を25銭に値上げといくそうだ。ハイヤーも値上げは必至とみられ、バックするごとに10銭あてお客様から申し受けることは早速実施するらしい(略)」(転載終了)。

値上げや減便はなるほどと思いますが、ここでも停留所増設です。そしてハイヤーは「ちょっと行き過ぎた! 戻って」とバックしてもらうと追加料金と、涙ぐましいというか、利用者には世知辛い話ばかり。

 信濃毎日新聞の1938年5月2日朝刊には、規制初日のさまざまが載っています。いくつか転載してみますと…(以下転載)
 「停留所乗降の第一日…県下一のバスコースの輻輳した更埴地方はあいにく日曜の行楽日和であったため、至る所乗客が大まごつき。いつもの通り勝手なところで手を挙げたがバスは意地悪くノーストップにあわててバスを追いかけるもの、我が家の前を素通りしたと不平を言って、反対にバスガールに『国策です』と叱られるもの、陳風景続出であった(略)」
 やはり、徹底されないですね。家の前で止まってくれてたなんて、うらやましい…

 「各所の機械油店頭にあるガソリンスタンドも今までのように腹いっぱい吸い込んで吐き出すこともできないと淋しそうだ。駅前のガソリンガールは『私たちには用が無くなった時代ですワ。今日は切符を持ってくる車が一台もありません』とあまりの暇に悲しそうに笑っている」
 関係ないけど「ガソリンガール」って、給油する看板娘で競っていたんでしょうか。

「時代から置き忘れられた人力車は燃料いらずの唯一の運輸機関だけに、車賃では負けても自動車から落ちるお客を拾わんとし懸命。松本駅前に『吾時得たり』と昔に帰って人力車が勢ぞろいして待機している。しかしよほど国粋主義者でなければ今の中は振り向きもされない」
(´-ω-`)
そしてハイヤーは恐ろしいことに「あまり遠いところはお断り」とか。まあ、早くもこの年の8月には長野県内で木炭バスが走り始めて翌年には県が木炭バスの使用を各社に割り当てるなど代用化が進み、1941(昭和16)年9月にはバス、タクシーなどのガソリン使用禁止と、戦争の泥沼化、石油禁輸などに翻弄されていくのですね。

2020年10月5日 記
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2020年10月05日 Posted by 信州戦争資料センター at 21:21資料

1941年、戦時下の信州の農村にて



 日中戦争がいつ果てるともなく続いていた1941(昭和16)年7月18日の長野県の地方紙「信濃毎日新聞」の学芸欄に「村のたより 臭い話」という、長野県小県郡からの投稿が掲載されました。し尿汲み取りに精を出していた農家の話題をユーモラスに描き出しつつ、日中戦争で農家の仕事の様子や集めるし尿の中身まで変化してきた様子が伝わる貴重な記録にもなっています。また、女性が生理で使う綿も再利用されていた現実も見せてくれます。
 以下に、著作権切れを利用して転載します。読みにくい漢字やかなは適宜あらためたほか、あまりにもちょっとという部分など、一部割愛しました。なかなか伝わりにくい戦時下の品不足の農村の姿の、ちょっとした記録として気楽に、ごはん時を避けて読んでいただければうれしいです。写真は戦時中に発行された「信濃の子供 上巻」より、安曇野の田植えです。

「村のたより 臭い話」東町唄
 松五郎が田を買った。坪3円で3段3畝。一般農家としては、日常の煙草銭にも事を欠く春蚕の上蔟前なので、約3000両の大金を、耳をそろえてすぱっと並べたということは、たしかに村中の心臓を一斉に、ストップさせたかと思うほどの価値は充分にあった。
 これで彼は八段歩からの地持ちである。俗にいう3斗2升まきの自作農である。耕地の狭いこのあたりでは、もう立派な村の有力者の部類なのだ。
 松五郎は、別に、糞五郎とも言った。そのほうがむしろ村では通りがよかった。たとへ太陽の昇らぬ日があっても松五郎の糞尿運搬の姿を見かけぬとゆう日は、ここ30年来、1日としてなかった。僅か、8畝歩そこそこの、先祖からうけついだ水飲百姓から、糞尿汲み取りで今日まで叩き上げた彼にとっては、糞五郎のレッテルは決して不名誉なものではなく、また私たちにとっても、むしろそのほうがずっと親しみ深いものであった。
 松五郎が仕事に出かけるのは決まって夜半の2時頃である。20個の肥桶を運送車につけて、馬の手綱をとり、1回金30銭の手数料で、いはゆる町のお得意さんの便所を回って歩くのだが、汲み取りを終えて村へ戻ってくるのは大抵、農家が朝餉のかまどに火を入れる頃である。それを1台、金3円位で売りさばいた。糞尿を予約した田畑へ撒き散らすと、それから彼は、人並みに朝飯をかっこみ、野良へ出かけるのである。つまり松五郎は、めし前仕事で稼ぎ通したのである。
 例えばその糞尿がもしも製糸工場などのものであったりすると、彼は野良の帰りに必ずそれを撒き散らした田畑へ立ち寄って女工たちが月々に使用する脱脂綿を拾い集めて持ち帰った。(略)その脱脂綿が相当にたまると、裏の大河へ行き大きなざるの中でじゃぶじゃぶと洗った。それを河原で幾日もほし上げて、バタ屋へ良い値で売り払っていたのである。
村の人たちは、実に嫌なことをする―とは思っていても、元来この脱脂綿とかおかしなゴムは、いつまでも腐らずに、ぐにゃぐにゃしていて、田畑の手入れにまことに気持ちの悪いものなので、内心は、それを片付けてくれるのだから、むしろ喜んでいる人のほうが多かったかもしれない。そうしたものは、工場地帯の糞尿が第一位で、次は山の手の俸給生活者の方に多いとゆうことであった。だが、松五郎にしてみれば、それはまた良い副収入の一つでもあったのである。
          ◇
 大体、下肥の汲み取りなどとゆうことは、事変前の科学肥料が自由にいくらでも手に入るときには、村の人たちは全然問題にしていなかった。事実その手数といい効能といい、金肥に比較すると、てんで馬鹿らしいほど割の悪いものであったからである。
 だから多くの百姓は、自分のしり出した糞尿の始末でさえ面倒くさがってい、大溜は満々と黄金がだぶつき(略)それがお町へなど行くと農家が少ないだけにますますものすごく、黄金の悩みは実に深刻そのものであった。その中をせっせと松五郎は汲み取りを続けていたのであるから、たとえ糞五郎さんであろうとも、彼は町の人達にとっては、太陽のごとく、また涙の出るほどありがたい存在だったのである。
 それが支那事変に入って1年2年、世の移り変わりとともに彼の仕事はめきめきと頭角を表してきた。物資の統制強化によって、科学肥料も自由には手に入らなくなった。耕地面積を基準とする配給制度(センター注・割り当て分を個人が購入する。無料ではない)になっても最少限度の必要量さえ確保ができず、一方、増産は国家の喫緊事なのだ。今まで金肥万能を誇っていた多くの農家は、全く狼狽の極みに達した。配給の度にいまわしい紛失事件が起こったり、一握りの間違いから大の男が口角泡を飛ばして小半日も争ったり、あるいはこうした足元を狙って、訳のわからぬ肥料を抱き合わせて儲ける輩があったりし、肥料本来の、実に芳しからざる現象さえも醸し出してきたのである。
 そこで、今まで振り向きもされなかった糞尿の争奪がはじまった。時折は小競り合いさえも聞くようになってきた。それが村内だけではおさまらず、お町まで延長したのである。こうなると、人の気持ちとゆうものは妙なものである。現に、糞尿がだぶついて困っていても、松五郎さんでなければ、といった調子なのだ。松五郎の実績が最大限度に物を言うのである。
 いきおい、糞尿の値もせりあがった。1台3円が4円になり5円になった。それでも申し込みが多すぎて、1回の運送を2回にし3回に増しても間に合わないのである。田んぼの仕事も人頼みにし人を雇って運送車を2台に増やそうかとさえ考えるに至った。今ではもう、松五郎の仕事は村ではなくてはならぬ重要な、配給機関の一つになった。
 松五郎は糞尿の汲み分けを大別して3通りにしていた。いわゆる山の手の俸給生活者と、裏町の労働階級とである。昔は月給取りの方が生活に余裕があって、食物も大分おごっているらしく、肥料成分も一等級であったが、最近では逆だとゆうのである。つまり安月給ではめざしも食えないとゆう世間の言葉の通りで、何としてもこの頃は景気のいい労働者のしり出した奴でなければ、ろくな大根もできませんわい―とゆうのである。その中間が、商人や工場の栄養料理のかすだが、どうもこれは少し水っぽい上に、紙くずが多すぎていけないとゆうのである。
 概して事変前とは、糞尿も品質が低下したことだけは争えない事実である(以下略)。

以上、転載終了。いかがでしたでしょうか。こうした俗っぽい話は、意外に記録に残りにくいと思い、非難覚悟でまとめました。失礼しました。

2020年9月23日

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2020年09月23日 Posted by 信州戦争資料センター at 22:21資料

歴史を検討する手法で不織布マスク値崩れの背景を検討してみた



 新型コロナウイルス感染拡大に伴って国が全住所に2枚ずつ布マスクを配布する事業に取り組み始めたところ、この布マスク配布のおかげで不織布マスクが値崩れしてきたーとの言説が流布され、首相や官房長官も発言してきました。時期的にはそんな風にも見えますが、果たして実際のところはどうでしょう。これは歴史の風説の検証にも似ています。せっかく現在を体験しているものとして、個人で入手できる範囲のマスクに関する情報を集め、整理し検討してみました。【写真は本文と関係なく、おそらく戦前に作られたであろう、軍隊マスクです】
 
 作業は基本的に歴史を研究するのと同じで、ある事象に関する情報を集積し相互の関連を検討するという、単純な手法です。今回、末尾に示す170件以上の情報を資料としました。新聞記事と一部ネットから事実関係の記述のみを拾い出して時系列に並べ検討し、マスクの値崩れは中国の輸出緩和が一番の要因であり、布マスク配布と値崩れの連携は考えにくいと判断しました。

 全体の流れを見ますと、1月の新型コロナウイルス確認から3月頭にかけて、中国では医療資材不足が深刻となり、連動して日本国内のマスク需給もひっ迫してきました。本来輸出に回るべきマスクがストップしたのが大きな要因です。

 しかし、3月中旬、アリババ創業者が100万枚のマスクを日本に寄付するなど、流れが変わり始めます。18日にはNHKニュースが「中国からのマスク輸入が順次再開されていて、政府はさらなる輸入の上積みを目指す」「ネット通販会社に中国からマスク10万枚、来週からは1日当たり20万枚」と報じます。25日には中国からスペインへの医療資材輸出契約が決定、26日の会見では89か国を援助と強調しています。そして4月5日の中国国務院記者会見では、3月1日から4月4日にかけてマスク38億枚を輸出したと説明し「(輸出を)制限していないし、これからもありえない」と公式に述べています。

 「制限していない」は、国内を優先させていただけという意味とみられ、実質的には輸出を規制していたといえるでしょう。また、4月に複数の港で日本向け出荷のマスクの通関業務が一時停止してもいます。しかし、制限していないと公言するからにはごまかすわけにはいかないので、輸出戦略が十分整ったことを意味すると考えられます。数字で見ても、マスク輸入量は2月に前年同月比56%に落ち込みますが、3月には90%まで回復、4月は257%となって、ほぼ需要を満たせるようになっています。

 その流れを裏付けるように、長野県内の市町村には、さまざまな中国とのつてを使ってマスクを入手した企業からの寄付が特に4月中旬以降、相次いでいます。市町村の独自の調達も活発になってきました。4月14日に通販価格平均値がピークに達して24日から急激な下落傾向に入ったり、売り場で値崩れが発生しているような報告があったりするのも、この輸出容認の流れを受けた供給増の現れとみるのが自然でしょう。また、22日の厚労省などの物価担当者会議が、ドラッグストアやスーパーに積極的に仕入れをして販売するよう事務連絡を発したタイミングと値崩れの時期をみると、高価でも仕入れて販売へと舵を切った影響が大きいと分かります。

 時系列だけ見ると首相の発言の後に値崩れが起きているように見えるので、単純に結びつくように思えるかもしれません。しかし、発言前から輸出路線が始まっていたことはスペインとの契約でもはっきりしていますし、さらに通販市場での値上がりは発言後も4月中旬まで続いていて、下旬まで高値で推移しています。発言が市場に影響を与えたというより、輸入が回復して物価担当者会議の事務連絡を受けたことから、店舗に商品が出回るようになって下落が始まったというのが、無理のない判断と思います。

 もちろん、値崩れにはいろんな要因があるでしょう(輸入回復、国内での増産、手作りマスクの普及、各企業の布マスク生産販売、不織布マスクの連続使用や洗浄再利用、自治体による布や不織布のマスク配布、感染ピークの終了など)。ただし、その要因を時系列や影響力を無視して横並びにするのは、歴史を調べる姿勢とは相いれません。価格に影響するのは需給関係が一番大きいというのが通常の経済の反応であり、それを覆すインパクトが布マスク発表にあったと関連付けられそうな情報は、今のところ、見当たりません。

 首相がそういったから、というわけにはいきませんし、発言が真実なら因果関係を含めて示すべきでしょう。政府のマスク配布は5月末でも終わらず、質量とも十分ではなく、他の要素に比べて市場へのインパクトは、あったとしても相対的に小さいといえるのではないでしょうか。

 ただし、今後、新たな資料が発見されて、再検討されることはあるでしょう。値崩れ現象も、各種の統計がまとまってくればはっきりするでしょう。そんな新しい資料から新事実が見えてきても、過去の資料を無視せず、その積み重ねをどう解釈しなおすかが必要になります。歴史には唯一の決定的な資料などないといわれるゆえんが、ここにあります。

 関連すると強調される方々は、状況を示すだけではなく、論理的に説明できる事実の提示が求められています。安倍首相がそういったから、ではだめです。それなら、その発言の具体的な根拠を示さねばなりません。

          ◇   ◇

 「首相が布マスク配るといったから布マスクが見直されて皆が買ったから値崩れした」という説も流れてきましたが、こちらを主要因とする説は、はっきりと否定できます。2月から多くの人が布マスクに注目していた事実に加え、4月まで庶民が何も対策しなかったというのは無理があります。何より、政府も3月には布マスクを妊婦や福祉現場などに配布するとしていますので、注目されたならそちらの方が早いといえるのではないでしょうか。

          ◇   ◇

 合わせて、台湾におけるマスク増産の対策がわかってきましたので、需要供給を考える参考に追加しました。日本でのマスク生産の動きも、新聞やネット情報でまとめました。政府のこの分野の動きについての情報がもっとほしいところですが、日本と台湾のコロナ対策における姿勢の違いが浮かぶようです。

 台湾ではSARSの経験を生かし、中国の新型コロナ流行の動きをつかんで、すぐ医療資材の状況を確認。マスク輸入が途絶えることを見越して、自国での生産でまかなう方針を決めます。そして一番のネックである、不織布マスク製造機械のメーカーを、政府と経済界が全力で支援して大量の政府発注の製造機械納品にこぎつけています。

 一方日本では、新規参入者への補助金は設けましたが、自主性にまかせているので当初の申請は少なく、最終的に43件の申請がありましたが、安定して輸入されるようになったときのことを考えて二の足を踏んだようです。さらに、新型コロナのあおりで運転資金の不足に陥った不織布製造機械メーカーが10億円余の負債で倒産という状況。生産増強のため政府が打った手は、マスク製造業には緊急物資製造にあたるとして、労基法は適用されないという通知をした程度しか、見えてきません。

 そして全国民へのマスク配布も海外調達頼みで、衛生的な批判を受けてから検品強化という、モノづくりに対する姿勢が全然違う様子がみてとれます。

 長野県内では、阿南町と泰阜村が両町村に工場のある業者が不織布マスク製造を始めるということになり、機械導入の半額を支援して、その代わりに住民には無償でマスクを配れるようにするという政策を打ち出しています。また、服飾メーカーなど、地元企業が製造を始めた布マスクを自治体が住民に配る動きも広がってきています。同じ布マスク配布でも、こうした地域産業を支える形で行えば、もっと違った効果も結果も生んだのではないでしょうか。

 血税注ぎ込んで安いものを輸入すればいいーという安易な発想に陥らず、本来の力であるモノづくりに、もっと目を向けてほしいものです。地方にまかせれば利権が得られないという、私欲が働いているとは思いたくありません。

          ◇   ◇

 以下、今回の参考資料です。マスク絡みのものだけを集めて、この時代を記録してみました。何らかのご参考になれば幸いです。

◎新型コロナウイルスの感染拡大とマスクをめぐる動き資料
 2021年12月23日時点。信濃毎日新聞から関連記事を拾いました。日付はできごとがあった時点を示しますが、「記事」とある場合は記事掲載日付。インターネット情報は「ツイートから」などと記載。特に記載ないものは信濃毎日記事より。市町村の動きは、いずれも長野県内の市町村。わかりやすいよう、寄付関係は【寄付】、布マスク関連は【布】と表記しました。マスクの平均、最低販売価格は、アスツールの発表データで、平均価格はネット販売分在庫ありの上位100件の平均。「(台湾)」の記述は、いずれも東洋経済オンラインの5・22記事=台湾「今周刊」4・30記事=より抜粋しました。

1・09 <中国で新型コロナウイルス確認と報道>
1・16 <国内初の感染者判明>
1・21 記事・長野県内全域出張自粛 中国への出張者にマスク配布
1・21 (台湾)台湾で初の感染者 当時のマスク1日生産量188万枚
1・28 厚労省と経産省、マスクの増産などを業界団体に要請
1・30 バス会社が乗務員らにマスク配布
1・末  1月のマスク輸入量15757トン、前年同月比116%(財務省貿易統計)

2・02 上海市がマスク登録販売制度 値段つり上げ、粗悪品、客同士のけんか
2・03 <横浜のクルーズ船検疫開始>
2・04 (台湾)マスク製造機械の製造会社2社に政府が60台を発注。通常なら半年かかるところを1か月で納めさせるため、政府がメーカーに技術者を派遣
2・06 記事・マスク高額転売横行 メルカリ7枚入り405円の品が2袋99999円 マスク製造材料不足
2・06 【布】記事・布マスクの型紙がツイッターで話題に。投稿女性は「作る選択肢も提示したかった」
2・06 (台湾)工作機械メーカーの国内団体が政府に協力申し出てメーカー視察
2・10 (台湾)各メーカーの技術者投入始まる。当初5社、最終的に27社が協力
2・13 記事・長野県内企業のマスク等受注急増 備蓄ニーズで
2・13 安倍首相、月産6億枚超の供給力確保を表明 増産設備投資の補助金創設決定
2・半ば 諸田洋之・静岡県議がマスクのオークション出品開始 3月6日に取り下げ(3・07記事)
2・15 記事・長野県内病院、マスク品薄 県が備蓄量照会、14日に県民に冷静な対応呼びかけ 政府は週1億枚以上供給見通し 上田病院枚数制限、松本協立病院は7日から自販機停止
2・17 神戸赤十字病院でマスク6000枚盗難
2・16 (台湾)政府発注60台の最初の1台が納品される
2・下旬 【布】4・04記事・箕輪町の障碍者事業所が布マスクつくり開始 2月中旬に店頭からマスク姿消したのを見て
2・下旬 【布】3・29記事・長野市の農産物直売所が農家の手作りマスク多めに並べ始めるがすぐなくなりそうに
2・20ごろ 【布】2・27記事・松本市内の手芸店で手作りマスク材料売れ始める。ネットでの作り方紹介が影響
2・21 記事・武漢市隣接市の病院 マスクや防護服足りない 武漢市に集中
2・26 【布】下諏訪町の手芸店は開店直後からマスク材料購入希望者でにぎわう。無地のガーゼとゴムが品切れ
2・27 <首相が学校の臨時休校求めると表明>
2・28 記事・経済産業省、マスク生産状況HPに。中国などから先週以降1000万枚レベル輸入
2・末  2月のマスク輸入量4732トン、前年同月比56%(財務省貿易統計)

3・01 首相、対策本部会合で スポーツジムやビュッフェの自粛を 北海道の住民に国が買い取ったマスクを配布すると表明
3・02 記事・WHOが指針 マスク過度の使用控えて 安心感を得たい気持ちは理解
3・03 厚労省、国民生活安定緊急措置法で製造や輸入業者からマスク400万枚買い取り、北海道の中富良野町や北見市へ最初に配布
3・04 ロシアが医薬品輸出禁止
3・05 【布】感染症本部対策会合 生活安定緊急措置法適用で転売行為禁止へ 布マスク2000万枚を国が購入し保育所、介護・障碍者施設へ 10日に閣議決定 首相強調
3・05 韓国がマスク輸出禁止 9日以降マスク購入に上限
3・05 (台湾)政府発注の60台の不織布マスク製造機納品完了
3・07 記事・買占め世界でも 中国、マスクは全土で品薄
3・09 社説・マスク製造の設備投資補助金の利用3社のみ
3・10 さいたま市がマスク配布先から朝鮮初中級学校幼稚部除外―13日に対象に
3・11 <WHOが世界的大流行=パンデミックを表明>
3・11 【布】厚労省、医療機関、保育所、介護施設へのマスク優先配布3月中にも始めると発表 3500万枚で161億円 政府の緊急対策第2弾 保育所、介護施設、学童保育へは布製マスク2000万枚配布、少なくとも1人1枚(2種類あり1種類はひもが布で調節できず不評)。3月第4週に1000万枚、第5週に1150万枚(一部、3・19日の厚労相会見情報・時事ドットコムより)
3・12 長野県が対策本部会議 県と4市町村の備蓄マスク26万枚を医療機関に供給
3・13 <新型コロナウイルス特別措置法が成立>
3・14 【寄付】アリババ創業者から全国にマスク100万枚寄贈。2月上旬に日本から支援分への礼。長野県へは1万枚
3・15 マスク転売禁止始まる ネット出品禁止へ
3・16 【布】ツイートより 厚労省がユースビオとベトナム産抗菌布マスク材料350万枚調達契約 シマトレーディングと350万枚輸入契約 3月末まで
3・17 記事・ドイツ輸出禁止、フランス国家管理
3・17 【布】中一女子が布マスク寄付
3・17 時事ドットコムより。厚労相が会見でマスク製造分野の労働時間規制の適用除外になるケースがあることを周知へ。「人命や公益の観点から緊急の業務については労働時間の延長ができる場合がある」
3・18 NHKニュース「中国からのマスク輸入が順次再開」「ネット通販会社に中国のマスク10万枚が到着、来週からは毎日20万枚」
3・20 (台湾)政府の追加発注分として不織布マスク製造機械30台と手術用特殊マスク製造機2台を納品
3・24 <東京五輪延期発表>
3・24 シャープがマスク生産開始 2月のマスク増産設備投資補助金を活用
3・25 長野県保険医協会がアンケート公表 13-17日実施。マスク不足84%。1か月で在庫切れ69%、1週間16%
3・25 スペイン政府が中国からの医療用具購入契約。マスク5・5億枚など。6か月で。
3・28 【布】首相記者会見 4月中めどに全小中学校に布マスク1100万枚 4月中には1億枚を超える布マスクが生産できる
3・29 記事・中国がマスク外交で影響力  26日会見で「89か国に援助」 2月以降、イランにマスク数10万枚寄付 イタリアに医療チーム セルビア大統領「助けてくれるのは中国だけ」 
3・30 【寄付】企業が千曲市に医療用マスク1500枚 中国出身社員や現地スタッフが調達
3・31 記事・マスクなお品薄 国内流通の7割を占める中国からの輸入低迷が最大要因
3・末 日の丸ロゴ入りマスクの製造を業者が休止。「政府が不足に乗じて作らせている」との誤情報に基づくクレームで(6・2記事)
3・末 3月のマスク輸入量8697トン、前年同月比90%(財務省貿易統計)

4・01 【布】首相、対策本部会合で布マスクを1住所2枚ずつ配布すると表明。医療機関へのマスクは3月の1500万枚に続き来週にも1500万枚
4・01 記事・長野県薬事管理課が医療機関向けに配布か配布予定のマスクは50万枚。内訳は 県と市町村の備蓄26万枚、国の備蓄3万枚、国が購入20万枚、アリババの1万枚。一方、医療関係者は県内に42000人以上。
4・01 ロシアから米国へマスク支援 国内では批判も
4・03 記事・「4月中に月7億枚超の供給を確保する」と繰り返す首相に業界関係者の間では「国民が1日1枚使えば需要は週9億枚だ」と突き放す発言も。もともと週1億枚ほどだった需要の7割を中国製品に頼っていた
4・03 【布】日本医師会長、布マスクに「ウイルス防止の役割はあまりない」「安心をつくる効果」 
4・04 米大統領、医療用マスクと手袋輸出禁止方針
4・初旬 【布】米国のCDCがマスク着用勧告 飛沫感染の恐れ判明を重視 市民には布マスク勧める 谷口清州・国立病院機構三重病院臨床研究部長「少しでもよい可能性があるならやろうということでは」。鼻から顎の下までカバーし、顔との間に隙間がないように着けないと効果が不十分なことは知ってほしい(4・26記事)
4・05 ネットから・CNS(中国国営通信社)発AFP 中国国務院記者会見 3・1-4・4にマスクを38億枚輸出 商務部対外貿易市司の江帆一級巡視員「(輸出を)制限していないし、これからもありえない」
4・06 【布】108兆円の緊急経済対策 医療機関へのマスク配布953億円、幼稚園、介護施設などへのマスク配布792億円 布マスク配布、全住所2枚、小中高特別支援学校高等専修学校の生徒教職員にも2枚ずつ アビガン備蓄
4・07 マスク向け不織布などの加工機械製造会社が倒産。採算悪化していたところに新型コロナ拡大で海外取引先からの入金滞り運転資金が不足。負債は10億円余り(4・11朝日新聞デジタル)
4・08 <緊急事態宣言発令>
4・08 【布】箕輪町が独自に町内全小中学生2037人に1枚ずつ布マスク配布へ 政府の3月下旬の発表では1人1枚だったので足りないとして 40万円で業者から購入へ
4・08 【布】生坂村教育委員会が村民有志2人の手作りマスクを小中学生105人に1枚ずつ
4・08 【寄付】企業が国内外で備蓄の医療用マスク15万枚を長野県に
4・08 【寄付】企業が医療用マスク1万枚をこども病院に 取引ある中国企業に依頼
4・09 【寄付】業者が軽井沢町にマスク1350枚 取引先経由で香港のマスク製造会社から
4・10 ツイートから・コンビニにも(マスクが)出始めた
4・11 日刊ゲンダイ記事・ネットから・「先週まで中国は厳しい輸出制限…輸出解禁にシフト」輸入業者(匿名)の談話
4・11 ツイートから・スーパーで5枚入り398円
4・12 三重県の会社がネットでマスク1000枚を約8万円で購入(5・23記事)
4・13 東レが国内向けマスク用不織布の供給体制強化を発表。5月から現状の2倍の月約6000万枚分に
4・14 マスク1枚あたりの平均通販価格80円でピークに(アスツール) 5・17記事にも
4・14 【寄付】長野県に中国国家体育総局がマスク1万枚寄贈 2日に申し出、10日に到着 体育交流の覚書を交わしていた
4・14 【寄付】業者が安曇野市に1100枚の不織布マスク。創業者と親交のある中国人元留学生を通じて中国から調達
4・14 【布】衆院本会議 首相「CDCなどでも有用性評価されている」 布マスクについて
4・15 【布】官房長官会見 17日から東京で布マスク配布開始。先立って医療機関、小中高、介護施設に配布してきた。 5月中には配布終えたい
4・15 東京都会見 医療機関、社会福祉協議会へマスク6400万枚配布、34億円
4・15 【寄付】中国出身の2人が諏訪市にマスク3000枚 勤め先の中国の関連会社から調達
4・16 <緊急事態宣言、全国に拡大>
4・16 三重県の会社が12日に1枚約80円で買ったマスクを5枚770円(1枚154円)、10枚1320円(1枚132円)で販売し数日で完売。5月22日にマスク転売容疑で書類送検される(5・23記事)
4・16 記事・原田前環境相が融通依頼 マスク「選挙区医師会に」
4・16 【布】記事・長野県内、相次いで布マスク製造参入 売上確保狙いも
4・17 【寄付】【布】野沢温泉村の女性、子供用に240枚寄贈
4・17 ネットから・アパレルリリースinインドシナ ベトナムの首相がマスク輸出規制を解除 生産量の25%を上限としていた。
4・18 茅野署にマスク送り付け商法の相談あり、注意喚起
4・18 【布】ツイートから 厚労省子ども家庭局母子健康課「妊婦向けマスク取り扱いについて」一部汚れが付着、配布控え目視確認徹底を
4・19 福井県がマスク購入券発行へ 23日から郵送 後に購入券窃盗未遂事件発生
4・19 【布】記事・ミシン人気
4・19 ツイートから・マスク50枚4980円が3680円に
4・20 韓国が日米へのマスク支援検討
4・20 【寄付】岡谷市に匿名でマスク3000枚
4・20 【布】文科省、奈良県の学校に送ったマスクに虫が混入と発表 13日から発送していた
4・21 シャープがマスク発売、サイトがダウン
4・21 【寄付】台湾からマスク200万枚
4・21 【寄付】石材店が塩尻市にマスク5000枚 石材仕入れ先の中国の工場関係者から調達
4・21 【布】ツイートから 厚労省子ども家庭局母子健康課「妊婦向けマスク検品の徹底について」配布の中断を 苦情あれば回収
4・21 【布】厚労相会見 妊婦向け発送50万枚中不良品7870枚 医療機関や介護施設向けでも不良品 汚れやごみ、髪の毛混入など
4・21 【布】全世帯用布マスク調達先 90・9億円で3社から 興和54・8億円、伊藤忠商事28・5億円、マツオカコーポレーション7・6億円 厚労省が社民党党首に回答
4・22 厚労省医政局経済課、経産省商務・サービスグループ、消費者庁参事官(調査・物価等担当)付の3者連名で、ドラッグストアやスーパーなどの業界団体に事務連絡。物価担当者会議の結論として、マスク不足にかんがみ、仕入れ価格が高騰する中でも積極的に仕入れて販売すること、仕入れ価格などを根拠とした適正価格で販売するよう、売り惜しみしないーなどを依頼。(同日付事務連絡文書より)
4・22 【布】厚労省、全世帯用布マスクも配布前確認で不良品 200万枚中200件程度、髪の毛や変色 メーカー検品後の目視で 官房長官「配布前に適切に除外」
4・22 【布】大阪府泉大津市長が地場産業の布マスクを首相官邸に持参。17日に首相が朝日新聞で通販していることを揶揄したことを受け
4・22 ツイートから・店先に大量のマスク、3000円
4・22 【寄付】企業がクリーンルームで使うマスク1万枚を茅野市に
4・22 【寄付】企業が中野市にマスク6000枚 中国からの輸入を手掛ける商社を通じ「大口なら受けられる」ということで大量購入。飯山市や長野市にも寄付予定
4・22 【寄付】【布】企業が布マスク2000枚を長野広域連合に 自社用に製造し追加で寄付分も
4・22 【寄付】小諸青年会議所が不織布マスク20000枚 小諸市に
4・23 ツイートから・スギ薬局で買えた
4・23 【布】厚労省と主要野党の会合 布マスク生産国は中国、ミャンマー、ベトナム 妊婦用マスクの調達先は、全世帯用を受注した3社を含む4社 残り1社は妊婦向け配布したかわからないのでなどとして答えず
4・23 【布】興和、伊藤忠商事、未配達分回収し検品強化
4・23 【寄付】記事・このほど農機具メーカーが長野市に5000枚のマスク 2月に中国の工場などに2000枚送ったお礼
4・23 【寄付】小売業者、マスク2万枚を県に 従業員向けに用意していたら想定以上に入手
4・23 【寄付】民団松本支部が松本市にマスク2500枚 東京の会社から購入
4・24 不織布マスク通販平均価格78円、最低価格57円 4・1ー24は平均価格80円程度、最低55円(アスツールの5・13レポート)。ここまで価格は横ばいで、これ以降、下落が始まる
4・24 首相、対策本部会合 医療防護具提供へ サージカルマスク5800万枚配布し、4月中に1560万枚追加発送。N95を150万枚、医療用ガウン130万枚、フェースシールド190万枚も配る
4・24 【布】全世帯分の配布分にも不具合 不良品は興和と伊藤忠商事 22日までに全世帯分は都内で130万枚配布、都内分の8%
4・24 朝日村が不織布マスクを1世帯50枚ずつ配布へ 1枚50円で村が調達、5月中旬に配る
4・24 上田市が5月から妊婦に7枚ずつマスク配布へ 4月1日以降の届け出に 国の布マスクは5-7月の出産予定者だけのため
4・24 長野県が防護服とマスク製造企業を支援へ
4・24 箕輪町が備蓄マスクを町内の施設に100枚ずつ支給
4・24 【寄付】上田市の企業、1万枚を市に 資材仕入れている中国の企業から購入。武漢で感染広がったときに1000枚無償提供した礼に現地で確保
4・24 【寄付】茅野市の一般社団法人、市内企業が中国から仕入れた1000枚を市に 富士見町、原村にも1000枚ずつ
4・24 【寄付】記事・小諸の会社社長、マスク1万枚を小諸市に 知人を通じて調達
4・25 この日までに平谷村が全村民400人に不織布マスク5枚ずつ職員が配る 災害対策費で6000枚を都内の業者から購入し20日に届いた
4・26 不織布マスク通販平均価格72円、最低価格52円(アスツール5・25レポート)
4・27 大王製紙がマスク生産開始 月400万枚から。将来は1300万枚へ
4・27 塩尻市が使い捨てマスクを市民1人10枚ずつ配布へ 5月中旬から
4・27 【寄付】企業が安曇野市に使い捨てマスク3万枚 取引がある中国家電メーカー通じて調達 松本市や梓川村にも寄付予定
4・27 【布】布マスク納入の4社目はユースビオ 官房長官会見で
4・27 【布】ツイートより 厚労省から社民党党首に回答。妊婦向け布マスクは1人月2枚半程度を予定、1100万枚28億円。製造企業は興和、伊藤忠商事、マツオカコーポレーション、ユースビオ
4・27 5・17記事・大手ネット通販サイトのマスク1枚あたりの平均価格70円程度で下落傾向鮮明に
4・27 【布】時事ドットコムより。日本郵政社長会見。配布先は6300万カ所。25日時点で郵便局への納入は4%230万カ所分。受注額26億円
4・28 【布】衆院予算委員会 ユースビオ5・2億円で随契
4・28 女性自身記事(2021・12・22)・衆議院予算委員会 安倍首相「マスク市場に対しても、それなりのインパクトがあったのは事実でございまして、業者の中においてはですね、ある種の値崩れを起こす効果にはなっているということを評価する人もいる」
4・28 筑北村、村民に不織布マスク2枚ずつ配布へ
4・28 【寄付】岡谷市の企業が備蓄品マスク2000枚を市に
4・末  (台湾)1日当たりのマスク製造量1700万枚を超える
4・30 【布】記事・布マスクいつ届く 福祉施設2000万枚・妊婦向け50万枚・全世帯向け1・3億枚 福祉施設ほぼ配布済み 妊婦向けは不良品最多 全世帯向けはほとんど配布できていない
4・30 伊那市が妊婦300人に不織布マスク10枚ずつ発送。3歳未満児の1500世帯にも予定
4・30 南相木村、6月にもマスク50枚1箱を全世帯に配る方針
4・末 4月のマスク輸入量25877トン、前年同月比257%(財務省貿易統計)

5・01 【布】厚労相会見 妊婦マスク46934枚の返品、黄ばみ、異物、汚れ。黄ばみは生地本来の色か。中旬に配布再開
5・01 【寄付】岡谷市の企業、備蓄品のマスク1万枚を市に
5・01 宮田村、妊婦に不織布マスク10枚 国の布マスクだけでは不足として
5・03 不織布マスク通販平均価格54円、最低価格36円。前週比で平均価格25%下落(アスツール5・25レポート)
5・04 記事・長野市境区が750世帯に3000枚のマスク配布 イベント費用を転用4月中旬、知り合いの業者からマスク購入できるかもと話しがあったことから
5・07 【寄付】在日朝鮮県青年商工会がマスク2万枚を松本市へ
5・07 厚労省がHPで布マスク配布状況を公開。東京都以外はすべて「準備中」 
5・08 記事・箕輪町が町民約25000人に5枚ずつ使い捨てマスク郵送開始
5・08 記事・長野県内でマスク販売の動き広がる 中国の提携工場から2万枚輸入し4月下旬から販売 韓国の知人から15000枚仕入れ 中国企業と取引のある企業から5万枚仕入れ など
5・11 不織布マスク通販平均価格42円、最低価格24円。前週比で平均価格22%下落(アスツール5・25レポート)
5・11 【布】記事・企業が台風被災者支援団体にマスク500枚など。市内の靴下メーカーが製造。コロナで営業休止している人や福祉施設に素材を提供し仕上げを委託。寄付した企業は、この活動を応援して30万円分を買い取り
5・11 【寄付】塩尻市に不織布マスク3万、市内の企業が社長の妻のつてで中国から入手。松川村へ1万、企業が取引先の中国の家電開発メーカーを通じて入手
5・12 京都新聞・中国から4月半ばに仕入れ、当初50枚3300円が連休明けは競争相手が増えて2700円
5・12 記事・阿南町と泰阜村が、両町村に工場のある会社で導入するブリーツ型マスク製造機の費用2000万円中、1000万円を補助。8月の稼働をめざし、マスクは住民に無料配布へ
5・12 不織布マスク通販平均価格40円、最低価格21円 5・17記事でも取り上げ 18日間で平均価格48%減
5・13 【布】千曲市が市内の保育園児2000人に布マスク配布。国の布マスク配布対象外のため、マスク製造に乗り出した地元シャツ製造業者に発注。22日に2枚目配布
5・14 <政府が39県の緊急事態宣言を解除>
5・14 【布】共同通信 厚生労働省がマスクの検品費用として8億円計上。15日になってから、妊婦用だけではなく、一般向けの検品も委託していると修正答弁。
5・15 中国の中国養父母連絡会が飯田日中友好協会と満蒙開拓平和記念館にマスク300枚寄贈。日中友好協会の義援金に応えて
5・16 【布】政府の布マスク、石川県で配達開始。
5・中旬 ツイッターより 到着した布マスクを目的外に使った人に対して罵詈雑言を浴びせるツイが多数
5・17 不織布マスク通販平均価格31円、最低価格21円。前週比で平均価格26%下落(アスツール5・25レポート)
5・17 記事・マスク値下がりについて危機管理アドバイザーの古本尚樹氏「従来の流通経路とは違うルートで中国からマスクが入っており、だぶついているのが要因」
5・17 香港大学の研究チームがハムスター使った実験でマスク着用で感染リスク2割以下にできると発表
5・18 【布】13都道府県に1450万枚を配布 5・20官房長官が記者会見で説明
5・18 県資源循環保全協会青年部会が県と長野市にマスク5000枚ずつを寄贈
5・19 諏訪湖ロータリークラブが不織布マスク7000枚を下諏訪町に寄贈。小中学校や福祉施設で活用
5・19 【布】諏訪擁護学校生が手作りの布マスク140枚を富士見町に寄贈。高齢者施設で利用
5・20 アマゾンが医療機関向けのマスクや防護服などの特設ストア開設
5・20 【布】信大発のベンチャーがフィルター入り高機能布マスクを発売
5・下旬 涼感重視の夏用マスク製造や予約受付、長野県内でも始まる(6・5記事)
5・下旬 【寄付】長野市へ友好都市の中国・石家荘市からマスク2万枚(6・3記事)
5・21 <政府が大阪、京都、兵庫の緊急事態宣言を解除>
5・21 参院議員運営委員会で厚労相、布マスク配布でマスク価格が下がったとする根拠を示すよう求められ「配布と価格の関係にはさまざまなご意見がある」と弁明
5・22 【布】埼玉県深谷市の中学校が「アベノマスク」着用か持参を求めるプリントを文部省経由のマスクとともに生徒に配布。公文書にアベノマスク記載の初の事例か。24日に保護者のツイートで問題になり25日に市教委が調査。学校が「不適切な表現」と謝罪。政府配布マスクの有効活用狙うと
5・23 【布】長野県でも長野市から配達始まる。長野中央郵便局管内の約半数28800組のみ届いた
5・23 記事・塩尻市のメーカーが不織布製簡易マスク製造装置を開発。型抜き方式で3秒で1枚。イベント利用にらむ
5・24 不織布マスク通販平均価格24円、最低価格17円。前週比で平均価格26%下落.。最も価格が高い時期だった4月25日に比べ、平均価格、最低価格とも70%減(アスツール5・25レポート)
5・25 <政府が緊急事態宣言を解除>
5・25 記事・各航空会社が乗客のマスク着用義務化や要請
5・25 日本小児科医学会が2歳未満の子供はマスク着用やめるべきと見解公表。窒息の危険
5・26 厚労省が夏のコロナ対応策公表 マスク着用は熱中症用心。屋外で周囲の人と2メートル距離を取れれば外すよう促す
5・26 【寄付】諏訪市の企業が備蓄品の医療用マスク7万枚などを県に寄付
5・26 【布】伊那市伊那東小学校の6年生が布マスク1300枚を作り後輩に贈る。休校中に作成
5・27 【寄付】損保ジャパン長野支店がサージカルマスク3000枚を県医師会に寄付。本店通じ調達
5・27 マツオカコーポレーションが政府発注の布マスク売上高51億円と発表。厚労省発表とずれ
5・28 【布】官房長官が会見で政府の布マスク配布終了は6月中旬にずれると説明。検品のため
5・28 【寄付】東電労組が松本市と大町市の病院に医療用マスク計1万枚寄付
5・29 南相木村がサージカルマスクを村内全戸に50枚ずつ配布開始。代さん160万円。村民は村長にちなんで「ナカジマスク」と。「アベノマスク」はまだ届かず
5・31 記事・マスクを「かなり」または「いつも」着用する人が、昨年の28%から今年は94%と3倍以上に。愛知医大が福島、東京、愛知、鹿児島の4都県で調査。マスクを全くしない人は昨年36%だったが今年は1%
5・末  5月のマスク輸入量30154トン、前年同月比309%(財務省貿易統計)

6・01 岡山県警が、衛生マスク1万6千枚を仕入れより高く転売した国民生活安定緊急措置法違反の疑いで男逮捕。同法違反容疑の全国初の逮捕
6・01 【布】官房長官が会見で政府の布マスク配布経費はは260億円に圧縮と説明。詳細は説明せず
6・03 【布】記事・小諸市の自動車部品製造業者が金型技術生かしマスク製造業に参入
6・03 【布】記事・塩尻市原新田公民館が政府配布布マスク回収箱設置。マスクが小売店に並びだしている状況踏まえ必要な人にと
6・04 【寄付】長野市内の複数の業者が市にマスク寄付。41000枚。台風被災支援へのお礼など
6・04 塩尻市が新品マスク回収箱を設置。店頭にマスクが並びだしたことから「助け合うきっかけに」
6・05 マスク転売疑いで名古屋市の女性64歳を書類送検。国民生活安定緊急措置法違反。「生活のためにやったと」。50枚当たり880円の利益で少なくとも140枚
6・05 総務省の家計調査発表。マスクやガーゼを含む保健用消耗品は需要増と価格高騰で約2・2倍
6・05 【布】小諸市が政府配布の布マスク回収箱設置。「サイズが小さいため、寄付して必要な人に活用してもらいたい」との声受け
6・05 WHOがマスク着用指針改定。密集した環境で感染有無にかかわらず着用を推奨。高齢者や既往歴の人には使い捨てマスク使用を強く促す。布製マスクについて「異なる素材が少なくとも3層重ねられたもの」を使用するよう推奨
6・08 記事・自民党内でも「アベノマスク」広がらず
6・08 【寄付】有志の会が中国遼寧省葫蘆島市から寄せられた医療用マスク2万枚を松本市に寄付。40年間の交流背景に
6・08 【寄付】伊那市内の企業が市に不織布マスク10万枚
6・09 【布】記事・佐久市の料理店が政府配布布マスクと引き換えに商品券。既に市内のコンビニでも布マスクは手に入るため不要なら福祉施設に寄付をと呼びかけ
6・09 【寄付】企業が不織布マスク1000枚を下条村の小学校に。1人5枚に。ほかに飯田市の3小学校にも寄付
6・10 信州戦争資料センター中の人の長野市の自宅に政府配布の布マスク到着。市内のスーパーや大型店の薬局などで不織布マスク、布マスクの在庫が確認される
6・11 【布】松本市の有志が政府配布の布マスクを子供向けマスクに手直しする作業を開始。松本青年会議所が回収箱を設置するなどして協力。「使わない」との声を受けて
6・20 【布】政府配布の布マスク、配達終了。約260億円
6・末  6月のマスク輸入量14064トン、前年同月比172%(財務省貿易統計)=国内生産も受け、だぶついて輸入減か(筆者注)

7・28 【布】政府が247億円をかけて介護施設等に布マスク8000万枚配布すると記者会見で官房長官が説明。7月末ー9月中旬に配布と。同時にマスク供給量は6月には輸入と生産で8億枚となって需要を上回っているとも述べた。(ネット)6月23日に発注済み
7・29 【布】厚生労働省が布マスク配布延期検討。野党合同ヒアリングで「マスクは流通が回復。配布やめて消毒液や防護服確保を」と提案受け。
7・29 【布】(ネット)布マスク受け入れの打診あり断る 新聞・2カ月ほど前に届いた布マスクは倉庫に眠っていると都内の介護施設長
7・30 【布】厚生労働省が7月中の配布断念。施設側のニーズを踏まえて検討する。
7・31 【布】厚生労働省が布マスク配布中止、希望施設へ。マスクと消毒剤の転売規制を解除

8・01 安倍首相がアベノマスク着用をやめる(一時復活もやめる)

9・28 神戸学院大学の教授、アベノマスク発注枚数と単価の開示求め大阪地裁に提訴

10・08 「新型コロナ対応・民間臨時調査会」が報告書の内容公表 半年間の施策「場当たり的な判断の積み重ね」 アベノマスクについて官邸スタッフ証言「総理室の一部が突っ走った。あれは失敗」

・2021年
3・末  全世帯向けの残りの約400万枚と施設向けの配布から希望者へと切り替えたことによる残り約7900万枚を合わせたアベノマスク在庫8272万枚、2020年8月ー2021年3月の保管費用6億円
3・末  マスクの生産、販売、輸入などにかかわる業者1500社、新型コロナ以前の10倍(マスク工業会) 国の生産設備投資補助金利用は43件

10・末 アベノマスク在庫8130万枚

11・06 会計検査院がアベノマスクのずさんな契約や管理指摘 介護施設や妊婦向け1億5736万枚、全世帯向け1億3004万枚、学校用3700万枚、計3億2440万枚調達し支払額442億6338万円 いずれも随意契約で仕様書なく詳細な品質基準もなく、不良品の費用負担措置も決めず 不良品は妊婦向け49万枚中6万枚(12・5%)に虫混入や汚れ付着、報告が635市町村からあった 不良品をめぐる費用は検品と納品遅れに伴う人件費で計21億4800万円 「緊急時であっても妥当性の検証や事後確認、国民への情報提供を強く要求」

12・21 岸田首相が記者会見で、アベノマスク在庫の年度内廃棄表明 在庫を検品した7100万枚中、不良品1100万枚(約15%)


2020年5月 9日
2020年5月11日、15日、18日、20日、24日、29日、6月14日、29日、7月31日
2021年2月25日、12月23日 一部修正と追記

※このブログのコンテンツを整理したポータルサイト信州戦争資料センターもご利用ください。
  

2020年05月09日 Posted by 信州戦争資料センター at 18:23資料

信州戦争資料センター第5回展示会「戦争ト玩具展」出展物紹(下)

2019年の信州戦争資料センター第5回展示会「戦争ト玩具展」出展物紹介の続きです。出展物紹介(上)出展物紹介(中)からご覧ください。

〇太平洋戦争当時とみられる玩具
 日中戦争当時の玩具に比べ、材質は木製や土製、紙製、セルロイドといった代用品に。色彩も乏しく。防空や慰問、さらには米英撃滅のスローガンと、戦争に直接つながる品が目立ちます。

・木製の戦車―砲塔部分に弾の薄い円盤を入れて、はじき飛ばせます。星のシールは後世の物か。昭和13(1938)年8月14日に内地向け金属玩具製造禁止令が出た後の品か。・セルロイド製の軍艦―内地向け金属玩具製造禁止令以後、セルロイド玩具が流行。木綿のぼろ布を使い資源節約も。昭和18(1943)年ごろには姿を消したと。・焼き物のベーゴマ―内地向け金属玩具製造禁止令が出て、金属の塊であるベーゴマは作れなくなったのでしょう。ぶつけあって大丈夫?

・防空装備の女性の土人形―岡山県からのもの。防空バケツに防空ずきん、もんぺ姿の女性。飾っておくものか。これでどんな遊びをしたのか。

・水絵アソビ―太平洋戦争当時の玩具。水を塗るだけで色が浮かび上がるアイデア商品。昔話の絵もありますが、「米英撃滅」などのスローガンも入っています。


〇紙芝居「オモチャの出征」
人々を戦争に協力させるため、政府や団体の宣伝道具として、紙芝居が日中戦争中の昭和14(1939)年ごろから使われています。内容を正しく伝えるため、絵もせりふも印刷して作った国策紙芝居で、大人向けも子ども向けもありました。「オモチャの出征」は昭和17(1942)年3月5日、日本教育紙芝居協会が発行しました。当時のおもちゃの雰囲気が伝わります。日中戦争中、武器を作る資源確保のため、政府は国家総動員法に基づく金属類回収令を公布。昭和16(1941)年秋から、各家庭の金属製品が半ば強制的に買い上げられるように。オモチャの出征では金属類回収令に基づく金属供出と、戦費の国債を買う貯蓄を取り上げています。発行は太平洋戦争開戦後、間もなく。子ども向けの紙芝居ではあっても、国策への協力意識を親子ともども浸透させる狙いがあったとみられます。

・金属供出で「出征」する玩具を残った玩具が盛大に送り出します。来場者からは「闇のトイストーリー」といった感想が寄せられました。

・見向きもされていなかった貯金箱は、子どもの貯蓄で大喜び。


<「こうあるべし」を伝えた玩具>
・婦人生いたち双六―大正7(1918)年1月1日、実業之日本社発行月刊誌「婦人世界」付録。女性が生まれてから結婚までをたどる。女性の道徳規範を教えています。


・子だから双六―大正8(1919)年1月1日、実業之日本社発行月刊誌「婦人世界」付録。結婚から出産まで。女中などを使う上流家庭婦人の姿を描く。胎教と言いつつ、女性の精神修養を強調します。感情表現もご法度と。上がりも、中央に座すのは夫。


・翼賛双六―昭和15(1940)年12月28日、漫画社発行。同年10月12日発足の大政翼賛会が指導、新日本漫画家協会の企画、製作。大政翼賛会宣伝用フリー素材「大和一家」を使っています。長谷川町子も協会の一員だった。菓子店員のそっけない表情は不自然で、指導を受け修正されたか。発足したばかりの大政翼賛会宣伝を狙っているが組織の性格もまとまっていないせいか、上がりの表現も意味不明。ゲーム製も疑問符がつく長時間かかる内容です。


・愛国イロハカルタ―昭和17(1942)年末、戦意高揚を狙い小倉百人一首に代わる「愛国百人一首」を内閣情報局や大政翼賛会、文学報国会が中心となって作成します。引き続き、子ども向けに同様の効果を狙う「愛国いろはかるた」が企画されました。内閣情報局認定で日本少国民文化協会の制定、日本玩具統制協会が発行しています。正月に間に合わず、昭和19(1944)年2月10日に発売。絵柄と漢字かなづかいの違いで、国民学校高学年向きと低学年向きの2種類。それぞれ普通のかるたと、大きな1枚の紙に印刷した札を自分で切り取るものがありました。展示品は、紙を切って作ったかるたです。句は共通で、昭和18(1943)年3-5月に公募、26万句が寄せられ、半数は子どもの作品でした。しかし、公募から選ばれたのは13句だけで、そのうち一つは陸軍報道部長の作品。子ども向けスローガンといった内容になっています。




〇体験コーナー
・メンソレータム販促玩具の軍帽(複製)―展示してある実物のカラーコピーを画用紙で裏打ちしました。ご自由にかぶって写真撮影などお楽しみいただきました。・平和日の丸プロペラ―回し(戦時下の実物)―昭和15(1940)年ごろから作られたとみられる玩具。片手で本体を持ち、反対の手で爆弾をイメージした丸棒を持ちます。丸棒を本体に直行させて当て、でこぼこを前後にこすると、振動が伝わってプロペラが回転します。正面から見ると、回転するプロペラが日の丸に見えます。棒を持つ手の指で本体をはさむようにしてこすると、安定して回るようです。代表が会場にいるときは、直接指導させていただきました。机上にある、当時の説明文コピーもごらんください。「大和心の血の一脈を通わす」などの説明文を読むと、勇ましい言葉で戦時下の風潮に乗り、売りこむ様子が伝わってきます。



2020年も開催予定です。多くの方のお越しをお待ちしております。出張展示のご相談も承ります。ご連絡ください。

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2019年10月07日 Posted by 信州戦争資料センター at 12:05イベント報告

信州戦争資料センター第5回展示会「戦争ト玩具展」出展物紹介(中)

2019年の信州戦争資料センター第5回展示会「戦争ト玩具展」出展物紹介の続きです。出展物紹介(上)からご覧ください。

〇おもちゃ屋・風俗画報88号
明治28(1895)年3月25日、東陽堂発行。日清戦争に合わせ、銃やサーベルなどの軍事関連おもちゃを並べた商店。装備を整え、上機嫌の子どもの姿も。


〇日露戦争飾立(複製)
浅草の版画商「滝谷板」が明治37年に発行。絵を切り抜き台紙に張る立版古の一つ。具体的な戦闘場面ではなく、雰囲気を楽しんだようです。


〇玩具やゲーム、スポーツ用品などのカタログ類。
・スポーツ用品カタログ―昭和2年3月発行。青年学校などに向けて、軍事教練で使う品を中心に紹介。・東京通信第610号―大日本雄弁会講談社の通販カタログ。日中戦争中の昭和12(1937)年12月27日発行。中ページの幻灯機では、支那事変フィルムも扱っています。・松屋グラフの羽子板広告―昭和13(1938)年12月5日に発行した通販カタログ。正月用の羽子板に、軍人や飛行機が登場しています。・阪急の特選玩具広告―昭和15(1940)年5月発行の阪急の通販カタログ。慰問品と並んで兵隊人形や軍装品セット、木製装甲車などを売りこんでいます。・三越の慰問用ゲーム広告―昭和16(1941)年1月20日に発行した三越の通販カタログ。ゲームを慰問用として紹介しつつ「御家庭内においても楽しくお遊びになれます」・浪花屋月報―玩具問屋から商店への取引案内。太平洋戦争中の昭和17(1942)年5月25日発行。紙製玩具がほとんど。わずかにセルロイド製があり、木製も3種だけ。


 戦時下の玩具は日中戦争初期だと、アンチモニーなど金属を使った商品がまだ残っています。が、やがて金属使用が禁止となって、セルロイドなどの代用品や、木製、紙製といった品ばかりに。戦争の激化に伴って物資が不足、節約を唱えられるようになってくると、玩具を売りこむのがはばかられたのか、表向きには戦地への慰問用としつつ、家庭でも楽しめる―との表記も登場します。太平洋戦争末期になると子どもたちも勤労奉仕などで忙しくなります。物資面では、紙類でさえ統制が厳しくなっています。雑誌の付録も既になくなっており、既製品の玩具は、わずかしか手に入らなかったでしょう。

〇日中戦争当時とみられる玩具
・日本軍の活躍を祝う羽子板―昭和13(1938)年の正月用か。日中戦争で南京陥落を祝った雰囲気を「皇軍万歳」の提灯が伝えます。たすきは「銃後護持」でしょうか。・乃木将軍の土人形―日露戦争の旅順要塞攻撃などで知られる陸軍の指揮官。東郷平八郎と並び、戦後はもてはやされます。松本市内からの出物。

・鉄かぶととサーベル―アルミ製とみられる戦争ごっこ用の道具。当時、紙製の鉄かぶともありました。サーベルは細部も丁寧に再現。

・軍人合わせ、軍人図柄メンコ―いずれも昭和初期か。点数や兵器の名前などが入っているので、いろんな遊び方ができたでしょう。

・木製の装甲車―昭和10(1935)年ころのものか。満州事変当時に活躍したいくつかの装甲車の特徴をまとめた架空の兵器。元々は丁寧な仕上げの高級品。動かすと発砲音がします。・ブリキ製の戦車―昭和初期のものか。第一次世界大戦当時に出現した初期の戦車の特徴をまとめたようなデザイン。ゼンマイで蛇行しながら走ったようです。

・軍事図柄の食器―歩兵や連隊旗などをあしらっています。ただの車の絵柄で、旭日旗と日章旗を入れているものも。

・海戦ゲーム―説明文に「非常時」との表現があり、昭和8(1933)年前後のおもちゃか。日米海軍が向かい合って戦う内容。教育ゲーム社。


〇販売促進用の玩具
 商品の販売促進用として、商品名や会社名を入れた広告代わりの玩具が、戦前も多数存在しました。その中の、軍事関連の販促用玩具を集めました。兵隊や水兵の帽子、肩章、ガスマスクのお面、戦車の塗り絵といった玩具のほか、勤倹貯蓄を呼びかける貯金箱といった実用的な品も。薬の販促用小型紙芝居「ドウブツトナリグミ」は、隣組が力を合わせて防空や兵士の慰問に活躍する内容。昭和16(1941)年ごろのものと推定され、戦時下の銃後教育に役立てる狙いもあったとみられます。薬のおまけの紙風船も、戦時下の標語だらけです。「チョキンアソビ」は郵便局を描いてあることから、郵便貯金を促す玩具とみられます。お札の一枚一枚に戦費への協力となる貯蓄を訴える標語が入っており、大人にも意識させたかったのでしょうか。買い物遊びではないところに、戦時下の切なさを感じます。


〇戦時下の絵本
現在の長野県白馬村に住んでいた方からの寄贈品を中心に、日中戦争から太平洋戦争までの戦争関連絵本を展示しました。西郷隆盛の絵本は政府に歯向かった西南戦争のエピソードを無視するなど、このころの戦時関連絵本は天皇への忠義や愛国、日本をたたえるといった内容で固まっています。

・日本ヨイ國―昭和16(1941)年12月20日発行。川津書店。「日本の国がいかに優れたよい国であるかということを…編集しました」。

・主婦之友愛国絵本―昭和14(1939)年1月~5月発行。月刊誌「主婦之友」付録。主婦之友社。忠義、滅私奉公などを繰り返します。豊臣秀吉の天皇への忠義話は悶絶。


出展物紹介(下)へ続きます。

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2019年10月07日 Posted by 信州戦争資料センター at 12:05イベント報告

信州戦争資料センター第5回展示会「戦争ト玩具展」出展物紹介(上)

 信州戦争資料センターと公益財団法人八十二文化財団は、戦時下の子どもたちを取り巻いていた環境を実物資料で伝える「戦争ト玩具展」を2019年7月30日から8月16日まで、ギャラリー82(長野県長野市岡田178-13)で開きました。把握した範囲では、長野県内各地はもちろん、北海道から関東、大阪、広島まで、全国から500人以上の方にご来場いただきました。大変ありがとうございました。展示品は90点で、このうち戦時下の実物資料は86点。ご来場いただけなかった方にも雰囲気を感じていただきたいとの思いで、それぞれ写真で紹介させていただきます。

<ごあいさつ>明治維新から太平洋戦争の終わりまで、日本は戦争に明け暮れていました。身近な存在である戦争や軍隊に子どもたちが憧れや親しみを持っていた、そんな時代の軍事関連玩具を集めました。男の子たちに向けては、戦争ごっこに使う鉄かぶとや装甲車、軍艦など、多彩な玩具がありました。女の子向けにも、女性の社会的な立ち位置を教え、慰問や看護、貯蓄といった道で戦争に協力する方法を伝える玩具が。戦局の悪化につれ、子どもたちを戦争遂行に誘導するような意図が見える物も登場します。当時の社会が戦争と隣り合わせで、軍隊に身近な人が関わり、将来は徴兵される現実もあっただけに、子どもの日常に戦争があるのは当たり前だったでしょう。戦争のない時代なら娯楽の道具にすぎない玩具も、そんな環境下では戦意高揚を担い、子どもたちを戦場に導く役割を果たしたのかもしれません。玩具が娯楽の道具にとどまれる、そんな環境を保っていきたいものです。

〇帝国勲章大鑑
昭和14(1939)年1月1日、大日本雄弁会講談社発行
月刊誌「少年倶楽部」付録。実物そのままの色と大きさ。勲章は当時の「偉い人」の肖像に付きものだった。


〇戦艦三笠の模型
戦艦三笠は、日露戦争(1904-1905年)における日本海軍の主力戦艦です。ロシアのバルチック艦隊と戦った日本海海戦(1905年5月27-28日)では、日本の連合艦隊旗艦として東郷平八郎司令長官が乗り込み、指揮しました。海戦は日本軍がほぼ無傷、バルチック艦隊は壊滅という一方的な勝利。このため、日本海海戦や三笠は「強い日本」の象徴として大人気に。退役した三笠は、1926年に横須賀で記念艦として保存されました。この三笠の模型は、月刊誌「少年倶楽部」昭和7(1932)年正月号付録の復刻版(2010年・講談社)です。代表が組み立て、毎日8時間ほど作業して4日がかりで完成。当時の子どもたちの、苦労と楽しさを感じながらの工作でした。同誌には合わせて日本海海戦の話などが載っており、製作の注意では日本男子として途中で投げ出すなといった文も。当時の子どもたちにとって、三笠は憧れだったことに思いをはせつつ、ごらんください。

〇軍艦での記念写真―上郷尋常高等小学校の昭和14(1939)年度卒業記念写真帳にある軍艦での記念写真。記念艦三笠へは修学旅行生の訪問も多く、これも三笠とみられます。〇三笠艦橋の図(複製)―東城鉦太郎画。日本海海戦で砲戦が始まる直前の三笠艦橋の様子。右から4人目が東郷平八郎・連合艦隊司令長官。模型にも長官が立っていた場所の印が。


〇日本陸海軍人双六
大正13(1924)年10月15日、吉田彌七発行。個人商店の発行か。第1次世界大戦で登場した兵器をまとめてある。

上がりは華やかな出世という雰囲気で、リアリティーは少ない絵柄。


〇忠孝双六
昭和2(1927)年1月1日、大日本雄弁会講談社発行。月刊誌「幼年倶楽部」付録。主君のために身を犠牲にした人たち。上がりは、天皇に拝謁できるイメージか。印刷日が大正天皇崩御の日で改元に間に合わず、大正16年のまま発行。まだ白虎隊とか赤穂浪士とか権力に歯向かった人も取り上げており、一般的な忠義話でまとめているあたり、まだゆるさが感じられる。


〇支那事変皇軍大勝双六
昭和14(1939)年1月1日、主婦之友社発行。月刊誌「主婦之友」付録。昭和12(1937)年7月に始まった日中戦争は翌年暮れまでに主な都市を占領したものの、蒋介石が徹底抗戦を続けたために終わりが見えなかった。上がりの表現も苦労した様子だ。

上がりの絵柄では、日本人の男の子が満州国と中国の女の子を守ってやるという図柄。無意識のうちに他国の格下感を植え付ける。


〇皇軍萬歳双六
昭和15(1940)年1月1日、大日本雄弁会講談社発行。月刊誌「少女倶楽部」付録。陸軍省、海軍省の校閲が入っている。日中戦争への女性の協力方法を、慰問袋を通して教える内容。生活規範も強調している。



〇へいたいさん双六
昭和16(1941)年1月1日、小学館発行月刊誌「コクミン二年生」付録。この年の4月から尋常小学校が国民学校と改称されるのを控え、従来の「小学二年生」から改題。低学年向けとあって、少年兵のイメージ画。

実際の戦時下とあってか、大正時代の双六と比べると写実的な絵になっている。


〇事変変わり雛
日中戦争後、初めて迎えた昭和13(1938)年の桃の節句に作られたとみられる変わり雛。軽井沢町で入手。雛人形の部品を転用しています。


〇端午の節句の兵隊人形
日中戦争後、初めて迎えた昭和13(1938)年の端午の節句に作られたとみられる兵隊人形。中国戦線で活躍中の雰囲気を出しています。


〇昭和19(1944)年1月1日、中央農業会発行月刊誌「家の光」付録。日本の勢力範囲にあったアジア各地の、一部の指導者などを紹介。


〇戦時下の小学生の絵
日中戦争が始まって間もなくのころ、長野県内の小学生が描いた絵画と貼り絵です。右と中央の4点は、佐久地方の小学生が昭和12(1937)年7月から始まった日中戦争などを題材に描いたもの。日本軍機による空襲、軍艦や商船、天皇陛下を取り上げています。貼り絵は日本軍の戦艦のようです。左側の2点は、昭和13(1938)年に上田小県地方の小学生が描いた作品です。こいのぼりと空を行く日本軍機、山岳地帯を進む歩兵と戦車、航空機をクレヨンで描いてあります。いずれも、当時知られていた軍艦や飛行機などの特徴をよくとらえています。それだけ、軍隊が身近な存在だったのかもしれません。戦時中には戦争や銃後を題材にした絵画コンクールもあり、子どもたちがたくさんの作品を出品しています。


<戦争ごっこ関連展示>
戦争中の男の子の遊びといえば、戦争ごっこ。ただ、遊びの描写や記録はあまり残っていません。雑誌や紙芝居、木曽高等女学校生の作文などで雰囲気を伝えました。
・童児擬戦の図・風俗画報85号
明治28(1895)年2月10日、東陽堂発行。下段に日清戦争当時の戦争ごっこの様子を描いてあります。正月の松飾やしめ縄を振り回しているようです。


・良い子の友
昭和17(1942)年12月1日発行。コクミン一年生とコクミン二年生を統合した月刊誌。小学館。毎号、軍事絡みの遊びを紹介。


・紙芝居「ヘイタイゴッコ」
人々を戦争に協力させるための政府や団体の宣伝道具として、紙芝居が日中戦争中の昭和14(1939)年ごろから使われています。内容を正しく伝えるため、絵もせりふも印刷して作った国策紙芝居で、大人向けも子ども向けもありました。「ヘイタイゴッコ」は昭和19(1944)年5月30日、日本教育紙芝居協会が発行。次々と現われる子どもたちが各種の兵隊や看護師になって遊びます。最後に日本軍の飛行機が登場。当時、飛行兵育成のため学校でも模型飛行機作りが奨励されていました。関心を向けさせる狙いがあったかもしれません。




出展物紹介(中)へ続きます。

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2019年10月07日 Posted by 信州戦争資料センター at 12:04イベント報告

「戦争ト玩具展」始まりました!


 信州戦争資料センターと公益財団法人八十二文化財団は、戦時下の実物資料を中心とした「戦争ト玩具展」を7月30日から始めました。会期は2019年7月30日―8月16日まで、平日午前9時半―午後6時、土日曜午前10時―午後5時。 開催場所はギャラリー82(長野県長野市岡田178-13)です。長野駅から徒歩でも遠くありません。入場無料。

 展示品は90点で、このうち戦時下の実物資料は86点。大正7年から昭和19年までの各種すごろく、日中戦争にあやかって作った軍事関連の変わりびな、日中戦争初期から太平洋戦争までの間に作られた装甲車や戦車、各種ゲーム、講談社の軍事関連絵本などをそろえました。当時の子どもたちの意識を伝える狙いで、長野県内の児童が日中戦争初期に書いた絵画もあります。戦争ごっこやおもちゃを題材にした国策紙芝居も展示しました。


 大型の玩具はなかなか残っていないので、少年倶楽部付録の戦艦三笠の復刻版を組み立てました。


 体験コーナーも用意しました。日中戦争後に発売された「平和日の丸プロペラ回し」の実物を用意しましたので、ぜひ挑戦してください。また、ノベルティグッズの軍帽(複製)もありますので、かぶって記念撮影をお楽しみください。


 今回の展示では、解説を抑えめにして、来られる方に自由に感じてもらえればと思っています。ただ、いろんなメッセージくみ取ることもできますので、戦時下の玩具を実際に並べてみて感じたことを書いておきます。

 3つある大型の展示台のうち、一つは日中戦争初期までの玩具、もう一つは日中戦争中盤から太平洋戦争にかけてのころの玩具をまとめてあります。見比べますと、材質、色彩、内容の広がり、いずれも変化を感じられます。
 こちら、日中戦争初期まで。


 こちら、太平洋戦争当時が中心。


 特に色彩と太平洋戦争当時の押し付け感からは、戦争という環境が子どもたちの世界を圧迫していくさまを見ることができるでしょう。また、すごろくも同じ軍事ネタでありながら、戦争のない時期のものと戦時下のものでは雰囲気が変わります。もちろん、わずかなコレクションですべてを語れるわけではありませんが、そのわずかなものでも整理して並べると何かが見えてくるということ、大きいと思います。玩具が戦争を生むのではない、玩具が戦争に巻き込まれていくと。

 この時期、各地でさまざまな戦争関連の催しがあるかと思いますが、玩具に絞ってここまでの本物を集めた展示は、まずみられないでしょう。足を運んでよかった、と感じていただけることと思います。週末は代表が会場にいる予定ですので、気軽にお声をおかけください。

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2019年07月30日 Posted by 信州戦争資料センター at 12:56イベント報告

日清戦争中のおもちゃ店は、やはり軍事関連が人気

 庶民の風俗は、日常にまぎれて記録に残らないことが大部分です。しかし、資料の中には思わぬ街角の表情が残っていることがあります。明治28(1895)年3月25日発行「風俗画報」第88号には、日清戦争下ににぎわいを見せるおもちゃ屋さんの絵がありました。



 店内にはサーベル、鉄砲、ラッパなどの軍事関連品に加え、中国人のお面もそろえています。



 サーベルに鉄砲、簱も手に入れて喜色満面の男の子です。



 清兵の髪をつかんで、今にもサーベルを振り下ろそうとしているかのような兵隊の絵を描いた襦袢。花見がえりの男性のよう。赤ちゃんもしっかりとラッパをにぎっています。



 この店の雰囲気を伝える解説文を、著作権切れであり、転載します。句読点を補い、漢字や仮名遣いを適宜平易に直しました。

<現今の各商店その5 おもちゃ屋>
 むつきの中なる嬰児は「坊やは良い児」と歌える謡にて睡るが多ければ、「小笛風車」のほか、おもちゃはあまりいらざるも、4―5歳の児童にして、父に従い母に伴われ、あるいは兄に抱かれ姉に負われて過ぐる者の、早くも目をつけて、急にその歩みを停め、袖にすがり、または手を曳き肩を打ち、指し示してまず立ち寄らしむるは、ここおもちゃ屋なりけり。

 男児なれば、あのサーベルがよい、この鉄砲がほしい、太鼓も買いたい、お面もいるよと遠慮なくいえば、店の者はすかさず種々取り出し「坊ちゃん、お面ですか。これは加藤清正、これは金太郎、これはヒョトコ馬鹿。どうぞ、上等の方を願います。サーベルはこれが切れます。支那人の首級もあります」と段々すすめ掛かれば、童児はついにお神輿を据え、是非に是非にと、軍人が出陣を願うがごとく迫り、とうとう皆買うことになれば、童児は北京でも陥れたるような喜をなして帰るぞ愛らし。

 女児なれば、あねさま、香箱より、御膳かまどの類を望むべし。これも会計にお構えなければ、その要求は1品にとどまらず、ただひたすら「買うてちょうだいな」と迫り「またにおしよ」と言えば、たちまち雨がふりて破鐘(われがね)が鳴れば、余儀なく財布をはたくに至るぞ是非なけれ。

 おもちゃ屋とは、おもてあそびもの屋の略称なり。すなわち童児の玩弄具をひさぐ所を言う。看板には御手あそび品々など書してあり、そも玩弄具は、もと遊戯に供するに過ぎずといえども、つらつら考うれば、その武器に擬せしものは体操発育の地をなし、その家内包厨の具に当たるものは婦人の職務を涵養するの緒となる。すなわちおもちゃ屋は、家庭教育の一端にして間接の利益甚だ多しとす。余は童児のためにおもちゃ屋を賛成する者なり。

 本図店前花見戻り客の下着は、征清戦争の模様、地は赤にて俳優の似顔等あり。また美人の上衣は竹に雀の模様にて、共に大丸屋に就き、方今の流行品を写したるものなれば、粋人はよろしく注目せらるべし。

 以上、明治28(1895)年3月25日発行「風俗画報」第88号より転載。山本松谷・画。鶯陵迂人・文。

 戦争玩具が軍国主義を育てるーとお感じになる方もおられるでしょう。しかし当時の雰囲気を見ていただければ、世間が注目し話題にしていればこそ、玩具も売れるということがご理解いただけるかと思います。おもちゃが悪いのではなく、世間の雰囲気や大人の行動の投影なのです。ならば、大人が正しい選択をして行動していけば、戦争玩具で遊んでいても、決して悪い方向に進むことはないと思うのですが。

2019年6月23日 記

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2019年06月23日 Posted by 信州戦争資料センター at 21:52収蔵品

戦時下の日本スゴイ新聞連載「日本人の体格美」(下)=合理的な黒眼 日本人の目は明るい平和な目?

 昭和18年8月、信濃毎日新聞に3回の連載で掲載した「日本人の体格美」。
 (上)「短い足は強い」(中)「団子鼻の優秀さ」に続く締めの(「下)は「合理的な黒眼」。表題で何か深い理由を期待するのですが、今回も主観と論理の飛躍が…。

(著作権切れで転載します。漢字やかなは適宜現代の用語に直し、句読点を補足しています)

日本人の体格美(下)=合理的な黒眼(佐々喜重)

 最後に眼について言うならば、日本人の眼は明るい平和な眼であると言うことができる。日本ではきれいな眼を明眸と言い、黒い瞳と言って瞳の黒いうるおいのあるのが美しいとされている。眼は一種のレンズで明暗に応じて光の量を調節する、写真器でいう絞りの作用を受け持つのが瞳である。青い絞りはないように、光学上からも瞳は純が当然である。

 青色と黒色は色彩感傷上の強さから言っても黒の方がずっと強く、顔の中心部にある二個の黒丸は顔面を非常にひきしめている。青ではその力が弱くて、それを補うために生まれたのがアイシャドウである。上瞼に暗い色彩を用いて陰をつけ、形の上から目を強調し、同時に瞳を保護するためにあるまつ毛をわざわざ放射線状にくせをつけて眼を大きく見せようとする化粧法である。

 一時我が国でもアイシャドウが流行したことがあった。これはまったく己を知らぬ奇怪な流行であったと言わなければならぬ。なぜならば、彼らの額と眼の間は狭く、まぶたに脂肪が少なくてくぼんでいるのに反して、我々の多くは額の高さと眼の高さがほぼ同様であり、また眉と眼の間が広く蔭のない明るい表情をしている。

 この明るさを強調したのが粉黛(まゆずみ)の慣習で、絵巻物に見られる公達や美女たち、能面の若い女性などの眉毛をそり落として、そのずっと上方額に黛を入れて上まぶたの平潤な感を強調した。その上、上まぶたには紅をほんのりとさして女性の優しさを出したものであった。このまねだけは彼らに絶対できないのだ。このように本質的相違を無視して、わざわざ明るいまぶたに陰をつけ、暗い表情をつくって街を闊歩した心理状態はどうにも理解に苦しむことであった。

 ギリシャ鼻、まぶたの狭くくぼんだ、あるいは富士額に対する四角形の額、その他彼らの持つ表情は、硬い、冷たい、深刻な、極端になると陰鬱な感を見る人に持たせるのに対し、我々の表情は、平和、豊かさ、温かさ、優美、悟りの完成された表情を持っているのである。

 日本民族の体格はかくも美しい均整を有している。そのことは機能的にも甚だ優れている。自分自身をもっともっと見究めるならば、より多くの美点を発見できるに相違ない。そこに民族としての大いなる誇りを持つことができるのだ。(完)(転載終わり)

  ◆

 一連の連載について。日本人の特質の確認や環境に合った体格などを強調し、その良さを伝えるだけなら、むしろ自分たち自身の理解が深まるので何も悪いことはありません。しかし、それをことさらに外国と比較して優劣を付けようとするのは、人種も住む場所も生活習慣も違うのですから、そもそも無理なことなのです。

 その無理が、今回も現れています。「合理的」と表題にありますが、内容は主観と論理の無視、都合の良い部分のつまみ食いでしかありません。また、本質的相違を無視して外国人をまねることを非難しているのに、人種の本質的相違を無視して日本人が優秀と言い立てる自己矛盾にも気づいていないようです。狭小な「日本スゴイ」論は、この連載企画と同根であると思います。そこまでしないと、日本人は自我を保てないのでしょうか。それをことさら大声で叫ばないと、日本は世界に認められないのでしょうか。「日本人の美徳」と彼らが強調するところのものとも相容れないように思えますが。

 なお、まゆずみは、眉を剃って額に眉を描くことで表情を読み取られなくする効果を狙った側面もあるとか。今回、勉強させていただきました。連載の効用は、この一点だけでした。

2019年6月23日 記

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2019年06月23日 Posted by 信州戦争資料センター at 12:41時事コラム

徴兵は戦時下でも個々の事情に関係なく一兵卒扱い―総力戦の理解もなかった杓子定規の制度

 大日本帝国における軍隊への徴兵は、基本的に個々の事情が斟酌されませんでした。大日本帝国憲法下の日本では、国民は「臣民」であり、天皇の「赤子(子ども)」であるので、個人の事情より国家の事情が優先されたからです。徴兵制に基づく国民皆兵とは、そういうものです。この考えに沿うあまり、優秀な研究者でも一兵卒として投入するという、近代戦、総力戦にはおよそ向かない事態を引き起こしています。こちらは、燃料開発を請け負っていた関西の会社から陸軍に提出された書類「応召職員召集解除方御斡旋嘆願ノ件」です。



 大阪帝国大学を卒業して入社した社員の一人が、昭和17年(1942)8月1日から5か月の教育召集によって職場を離れているが、これによってアルコールから高オクタン燃料をつくる研究が滞っていると強調。召集解除を懇願しています。日付が10月ですから、しばらくは待っていたものの、納期も切迫してきているのでしょう。





「誠ニ困窮」 「日夜焦慮仕居候」との文言に、あせりが伝わってきます。



 教育召集とは、徴兵検査で合格したが定員によって現役召集されなかった第一補充兵に対し、戦場に出ることに備えて最低限の軍事教育を施すための召集でした。

 それにしても、昭和17年8月といえば、ガダルカナル島での戦闘が始まったころ。また、南方の石油は押さえたものの、海上輸送能力に課題がありました。そして高オクタン価の燃料製造技術は未熟という状況。燃料の開発が急務だったのは言うまでもありません。その中軸となる研究者を戦時の5か月間、無造作に一兵卒となる訓練に投入するとは、何を考えていたのか。徴兵が国を強くする方法などという人には、こうした実態をよく知った上で慎重に発言してもらいたいものです。

2019年2月6日 記

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2019年02月06日 Posted by 信州戦争資料センター at 12:00収蔵品