ニューラルネットワークによる自動色付け―戦時下の伊那高等女学校(上)

 信州戦争資料センターが所蔵する、長野県上伊那郡伊那町(現・伊那市)にあった伊那高等女学校(現・伊那弥生ケ丘高校)の昭和17年度卒業生記念写真帳より、当時の雰囲気を伝える写真をピックアップ。WEB上でモノクロ写真をカラー写真のように加工できる、ニューラルネットワークによる自動色付けを試してみました。早稲田大学の飯塚里志さま、 シモセラ・エドガーさま、石川博さま、関係各位に熱く御礼、そしてネット公開していただいていることに感謝いたします。

 中央アルプス駒ケ岳(2956メートル)登山
ニューラルネットワークによる自動色付け―戦時下の伊那高等女学校(上)

 こちらが元写真
ニューラルネットワークによる自動色付け―戦時下の伊那高等女学校(上)

 夏山ですから、当時の雰囲気をよく伝えると思います。服の色合いはデータがないのでこんな感じでしょう。伊那谷の上伊那地域では、現在も中学生らの駒ケ岳登山がおこなわれています。

 砂利運び
ニューラルネットワークによる自動色付け―戦時下の伊那高等女学校(上)

 こちらが元写真
ニューラルネットワークによる自動色付け―戦時下の伊那高等女学校(上)

 これは、伊那高等女学校の全生徒800人余が参加して夏休み明けの昭和17年8月下旬に行った、三峰川からの砂利運びです。色付けで暑い中の作業の様子がよく出ました。袋に詰めて運んだ砂利は、校内の奉安殿の周囲に敷き詰めたといいます。ちなみに、長野県では今でも夏休みが8月20日過ぎで終了します。

 防空演習
ニューラルネットワークによる自動色付け―戦時下の伊那高等女学校(上)

 こちらが元写真
ニューラルネットワークによる自動色付け―戦時下の伊那高等女学校(上)

 ずらりと並んで列を作っています。いましも伝令が走っていくところです。

 ところで、小県蚕業学校(現・上田東高校)の防空演習では、列の割にバケツの数が全然足りない様子でした。この写真がどのタイミングで撮影されたかは不明ですが、バケツリレーが効果を発揮するには、かなりの数のバケツが必要です。そしてバケツがあれば、無理に列を作らずに次々と運んで水をかけるほうが消火効果が高いと、昭和12年ごろの防空演習の講評では触れられています。とりあえず形を整える―というのが実情だったのではないでしょうか。この写真も整然と列を作るのが主眼で、集団訓練の要素が高いように思えます。

 それにしても現在の中高生世代がこうした取り組みをしていたこと、カラー化で実感を伴うと、現代の防空訓練にも通じるむなしさを感じます。

2018年1月2日 記

 ニューラルネットワークによる自動色付けー戦時下の伊那高等女学校(下)もごらんください。

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2018年01月02日 Posted by信州戦争資料センター at 19:27 │自動色付け