法律で義務化された戦時下中等学校生の「勤労奉仕」#ニューラルネットワークによる自動色付け

信州戦争資料センター

2018年01月15日 22:11

 戦時下における学生の勤労奉仕は長野県の場合、昭和13年5月に中等学校、国民学校の生徒児童を総動員する大綱を決定、農村への支援を中心に実施しました。昭和14年4月には長野県の取り組みなどを参考に、文部省が勤労作業を義務制とするよう通牒を出します。昭和16年には学徒挺進隊動員実施要綱により、奉仕活動が正科に準じると位置付けられました。

 同年11月、国家総動員法による国民勤労報国協力令が公布され、範囲が一般国民に広がります。法律では中等学校の3年以上(5年まであった)が対象でしたが、長野県は独自に1年から対象と決めました。また、作業は5人単位で行い、国旗を掲揚するとしています。南安曇農学校の昭和17年における勤労奉仕の写真をここにまとめました。そんな時代の流れを押さえてご覧ください。

 山林での下草刈り奉仕

 こちらが元写真

 下草の搬出。自動色付けの真骨頂が表れています

 こちらが元写真

 稲の刈り取りの勤労奉仕。決定通り、中央に日の丸の旗を立てています

 こちらが元写真

  コメの出荷の勤労奉仕。これは若者の力が役立ったでしょう

 こちらが元写真

 戦時下の勤労奉仕は現代のボランティアのような自主的な活動ではなく、法律で義務化された作業だったことを覚えておいてほしいと思います。
 
 現代に続く実感を出すため、WEB上でモノクロ写真をカラー写真のように加工できる、ニューラルネットワークによる自動色付けを試しています。早稲田大学の飯塚里志さま、 シモセラ・エドガーさま、石川博さま、関係各位に熱く御礼、ネット公開いただいていることに感謝します。戦争の怖さは戦場はもちろん、戦場を支えるとの名目で次第に国民が追い込まれていくところにあります。今にも戦争が起こりそうだとあおり、戦時体制に移行していくことで国民を縛り付けていったかつての日本政府の行動を、忘れてはいけないのではないでしょうか。

2018年1月15日 記

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