収蔵品には、こんなものがあります。
この物体は
サタケ式最近家庭パン焼料理窯(説明文の原文そのまま)です。長野県木曽郡木曽町の骨董市で購入したもので、そこそこ使い込まれています。
太平洋戦争当時に作られた物らしいですが、どう使う物か、外見からは
さっぱり分からないと思いますので、断面図をお示ししますとこんな感じです。
えー、はなはだ分かりにくいでしょうが、矢印は熱の流れです。この窯は熱源がありません。まずは、しちりんやこんろに点火!
その上にこの窯を載せると、矢印のように熱が伝わる。つまり、下からの熱を逃がさず、輻射熱で横から下から、そして上からも熱気で加熱と、
合理的な構造となっております。
さて、では、この調理窯の作られた背景は?幸い、説明文が残っていたので、引用いたしますと
「東亜新体制確立のため、わが国においては食料政策上、どうしても節米断行による代用食によらなければなりません」(原文まま)
と位置付けます。そして、代用食としてのパンは、労働力の不足や加工、配給の手間を考えると、原料による配給が最も良いと指摘。さあ、パン焼き窯の出番、となるわけです。そして、パンを勧める理由として
「パンの原料は粉末でありますから
何粉なりとも使用できます。例へば
干草の粉、草はもっとも食草が多く(略)草の粉にても
充分パンとして製作することは決して困難ではありません」(しつこいですが、原文のまま)
いや、作った人は真剣だったと思いたい。説明文には、食パン製法が載っています。
「食パンはイースト水種をつくり、食パン種をこねつけます。水種は馬鈴薯イーストを混合いたし、
13時間位置き、さらに食パン種を元種として用いまた
10時間位置き、早い物にても5、6時間はかかります。只今のところ
イーストも手に入らず、相当に時間も要する事なれば
その内良い製法を研究致し御知らせ致します」(しつこく強調しますが、原文のままです)
どう言っていいのか…パン焼き料理窯といっておきながら
パンが作れません(泣)
そのかわり、いろんなものを直焼きにしたりする方法を紹介しています。余熱を利用すれば燃料費はかからない、と強調。最後に、さまざまな料理方法を今後研究するため、「家庭パン菓子割烹洋食研究会」に
30銭を添えて入会をと呼び掛けています。
研究会の会長は、この調理器を開発した人らしき人物、顧問は、この調理器を販売している会社の社長らしき人物。
どなたか、この研究会の
成果をご存じの方、情報をいただければ幸いです。
わたしも戦後生まれゆえ、戦争当時のことは知りませんが、調理器の問題より、
調理する物資の不足が大問題だったのでしょう。平和な時代であれば、この発明もそれなりの評価があったかも?こうした戦時中の品をお持ちの方、ご提供、ご連絡いただければ幸いです。
※こちらのブログのコンテンツを整理したポータルサイト
信州戦争資料センターもお訪ねください。