「こんなのもあるんだよ」「いただいていいですか」「それはだめー」―でも、終戦直後の軍放出品をいただきました!

信州戦争資料センター

2018年08月28日 22:59

 松代大本営の通信ケーブルを譲って下さった須坂市のOさん。次々といろんなものを出してくれます。戦時下、国策推進に活躍した横山隆一のフクチャンを描いたうちわと、何やら不明の金属製の筒を見せてくれました。

 うちわは、フクチャンが飛行機に日の丸を書き「増産」と記したもの。こちらは、いつごろどのような経緯で家に来たかはわからないとのこと。「日本□学工業」とあり、疎開企業でしょうか。企業名はわざと一文字を白抜きにして読めなくしたようでした。そして金属製の筒。中はさびていて、数年前まで硝煙のにおいがしたということ。Oさんは「防空演習があって、訳が分からず泣いていたら『ほら、これやるぞ』と誰かが渡してくれて泣き止んだ時のもの。思い出の品だよ」。おそらく、発煙筒の筒でしょう。

 いずれも戦時下の貴重品です。「こちらはいただけますか」「だめー。これはとっておくから」。やはり、思い入れがあるものですからね。その後も、次々と買い集めた本や畑で出てきた土器片、石器などを見せてくれます。「おかあさん、おもち焼いて、あんこはさんで。そしたらもう少しいてもらえるでしょ」。確かに午前のお訪ねでしたが、もう一時間以上お話ししていました。でも、いろいろ話したかったんでしょうね。奥さんに「普段、こんなに話されるんですか」と尋ねると、ゆったりと頭を横に振られました。

 戦時下の書類などいろいろ出してもらいましたが、いずれも譲るのは「だめー」とのことでした。それでも、終戦間もなく近所の倉庫にあった軍関係物資が配られた際にもらったという放出品を2点、さらにいただきました。一つは九二式隠顕灯(昭和15年製)一式でした。

 ほこりまみれでしたが、反射鏡などきれいで保存状態はまずまず。

 「二つあるから、一つあげる。もう一つのほうはろうそく入れ、ちゃんとふたがついているけれど、そっちはだめ」。いえいえ、これで十分です。

 もう一つは、馬具でした。

 ほこりをとって少しみがいたら、ほぼ未使用かと思える状態です。終戦後の、管理がちょっと緩い雰囲気が伝わる貴重な品です。Oさんは終戦当時、3歳半ばでしたが「いろんなことが変化していったときで、終戦前後のことはよく覚えているんだよな」と。そんなこともあって戦争には関心があり、展示会にも来ていただいたようです。いただいた品を抱えて辞去させていただいたら、3時間余りが過ぎていました。やはり、伝えたいということと、価値の分かる人に自慢したいという思いもあったのかも(笑)。いやいや、貴重なお話しと品物、ありがとうございました。

 お礼に2015年に出版した図録をお渡ししました。すぐ開いて、写真をみて楽しそうにしていただいたのが何よりでした。

2018年8月28日 記

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