愛国百人一首

信州戦争資料センター

2015年08月11日 23:40

 正月の遊びといえば、いろいろありますが、百人一首といえば誰でも納得するでしょう。雅な絵の入った恋や自然やいろんなことを歌い込んだ、日本の芸術です。ところが、戦争中には戦争に一致協力する文学者でつくる日本文学報国会が「愛国百人一首」なるものを選定しました。昭和17年の暮れに急いで字だけの商品が完成。翌年暮れには絵入りの商品もできたようです。こちらは昭和18年の暮れの商品ですが、字だけのものです。 紙がぺらぺらなので、箱はものすごく薄いです。 万葉から現代までの作品で、時局に合ったものをと選んだというのですが、中身は悲しくなる歌ばかり。

 「天皇(すめらぎ)に 仕へまつれと 我を生みし 我がたらちね(=母親のこと)ぞ 尊かりける

 佐久良東雄」

 なんて、奥さんに読ませたら、「そんなこと、あるわけないよ」(怒)と。当然ですよね。

 「君が代に あへるは誰も 嬉しきを 花は色にも 出でにけるかな

 藤原範兼」

 うーん、こんな歌もあったのですね。でも、感動はできませんね。それぞれの歌が詠まれた状況や背景があれば、もっと感じ方は違うのでしょうが、これだけ集めると、プロパガンダのにおいしかしません。


 文学的なセンスが生きているといえば、本居宣長や吉田松陰の作品もありますが、大部分は直接的に天皇の世をたたえたり、天皇のために死ぬのは本望という内容。12人の選者に、斉藤茂吉、北原白秋、窪田空穂といった、日本文学の巨匠が名をつらねているのですよ。そうした波に乗れない人は、挫折し、発表の場もなく、朽ちていったのでしょう。

 ちなみに長野県では松本市の中信歌人報国会が昭和18年2月、県内の詩人、歌人、愛好家らの意見を聞いて「信濃愛国百人一首」を発表しています。また、長野中等学校(現・長野高校)では朝、生徒が愛国百人一首の1枚を選び、全員で朗誦したとか。

 なんともやりきれない、複雑な思いのする、百人一首。あらためて、戦争状態にない、平和な言論のある時代の良さをかみしめました。

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