女学校の生徒が作った「報国貯金箱」と、モノの記録のこと
こちらの品は、山形県内で昭和2年に生まれた女性が、女学校時代(時期的には太平洋戦争当時)に授業で作ったという「報国貯金箱」です。
砲弾型で、薄い緑色。釉薬をかけてきれいに焼き上げてあります。お金の投入口の上部にちょっと乱れがあり、手作り感があります。
手は大きいので、大きさの比較には向きません(笑)。底に達筆で名前を書いてあります。女学校に入りたてというより、もっと年長の人の手による丁寧な作りと思えます。卒業年時は昭和18年ごろですから、そのころかと。
きっちりとした砲弾型に作ったのでしょうが、少し細ってしまったようです。中には硬貨らしきものが1枚入っており、ふるとシャリシャリ音を立て、当時の雰囲気がしのばれます。
ところで、この品には「報国貯金箱」といった文字が入っていません。形も出品者が当初タケノコ型と間違ったように、どうとでもとらえられます。こうした、ちょっと見たのでは見過ごしてしまうような戦争の遺物は、きちんとした説明とともに伝承しないと価値がわからなくなります。茶器なら箱書きがなくとも作風などからいろんなことがわかるでしょうが、こうした品は作った人からの伝言が頼りです。
もう、この貯金箱を作られた方は他界し、詳細を知ることはできません。出品者からの説明を基礎にこうして説明を付け、私が伝承していくことになります。
モノは将来に残していけますが、しっかりした伝承があれば、その価値も高まります。できうる限り、戦時下の庶民の思いがこもった一つ一つの品とより多く出会い、収蔵し、将来につなげていきたい。人の体験を伝承するのと同じように、今のうちに地道な取り組みが必要だと思っています。
2018年1月9日 記
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