戦時下、英米への敵愾心をあおるためとして洋風の雑誌名が日本風に改題―アメリカでは日本語熱
信州戦争資料センター所蔵の週刊誌「サンデー毎日」を見ると、昭和18年1月3日号は「サンデー毎日」ですが、3月21日号は「週刊毎日」になっています。題名の変更は、内務省などによる昭和18年1月13日の米英音楽演奏禁止リスト発表をきっかけに始まった英米語追放の影響です。「外国かぶれ」としてゴールデンバットが金鵄になるなどした昭和15年の取り組みより、「敵性語」としてさらに徹底していました。
1月から3月にかけてさまざまな分野で改名が相次ぎ、雑誌では「ユーモアクラブ」が
「明朗」に
「キング」が
「富士」、といった具合に。
少しでも雰囲気を残す題名を工夫しています。
スポーツの用語も「ホッケー」が「杖球」、「レスリング」が「重技」になります。アイスホッケーは「氷球」でした。では「辛味入汁掛飯」は? 答えは「カレーライス」。禁止されたジャズレコードを一掃するため警察が飲食店を回ったという昭和18年の信濃毎日新聞記事では「音盤数十枚」と、「レコード」の書き換えをしてありました。
一方のアメリカでは、戦争を受けて日本語や日本文化を積極的に学んでいたといいます。日本語学科がいきなり学生であふれたとか。
さて、雑誌の改題はとどまるところをしりません。「婦人画報」は昭和19年5月号から
「戦時女性」に。写真の本は昭和20年6月号です。
空襲で編集部を東京から長野県の中野市に移してつくったものです。ここまでくると、英米語を追放した担当者が、ほかに何かしないと職務怠慢だとして仕事を探した結果としか思えません。まるで特高警察が共産主義者を壊滅させたら次は自由主義者も、と弾圧したようなものです。規制はエスカレートするのです。
2018年3月17日 記
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