昭和13年正月、戦争景気真っ盛りの時に合わせたとみられる羽子板―やがて軍事の波にのまれて

信州戦争資料センター

2018年06月28日 00:11

 昭和13年の正月に向けて発売された羽子板を入手しました。前年に日中戦争がはじまり、南京を陥落させるなど勢いに乗って明けた正月です。

 着飾った女性ですが、日の丸に提灯は「皇軍万歳」、たすきは「銃後護(まもる)」とあります。

 裏は一転して緩いものですが、まあ、実用を考えれば仕方ないことでしょう。

 昭和13年の正月、長野県からも松本50連隊が満州方面、150連隊が南京を攻略してから北支で引き続き戦闘という状態でした。

 一方、長野県内は軍需景気にわいており、長野市の初売りでは大型店が混みあい、上田市の八日堂縁日も「ぐんと戦勝の景気」という状態。松本市や上田市ではパチンコ店が乱立。高給を求めて割に合わない女工や商店員が不足する、といった感じ。2月に入って「午後11時以降の歌舞音曲停止」となりますが、いかににぎわっていたか、そしてその時間までなら騒いでも良いとせざるをえなかった、そんな様子が伝わります。

 一方で、国家総動員法が成立したりするのですが。翌年にはコメの不作や電力危機、昭和15年には隣組を整備しての配給制度、そしてまだ太平洋戦争が始まらないうちに、昭和16年には金属回収も国家総動員法によって始まります。この羽子板は、そんな戦争景気の一時の様子を伝える品なのです。

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