戦時下に発生した東南海地震の被害は、どう伝えられたか―厳しい報道統制で知らぬは日本国民ばかりの状態に

 今は国内で起きた地震の情報が即座に報道、発表され、個人からの情報発信も盛んですが、戦時下ではどうだったでしょうか。太平洋戦争も終盤に差し掛かった1944(昭和19)年12月7日、東海道沖を震源として発生した「東南海地震」の事例で確認してみました。

 こちらが東南海地震発生翌日の1944年12月8日毎日新聞朝刊です。普段は2ページのところ、「大東亜戦争」4年目突入の記念ということで特別に4ページです。一面は天皇陛下の写真やレイテを巡る戦いの報道で埋まっています。
戦時下に発生した東南海地震の被害は、どう伝えられたか―厳しい報道統制で知らぬは日本国民ばかりの状態に

 ほぼ全面、戦争記事という仕立ての紙面で一生懸命探すと、一番小さい一段見出しで「きのふの地震」と載っていました。わずか5行で「被害を生じたところもある」としただけです。
戦時下に発生した東南海地震の被害は、どう伝えられたか―厳しい報道統制で知らぬは日本国民ばかりの状態に

 通常の2ページに戻った毎日新聞の昭和19年12月9日朝刊には、少し情報が入っています。見出しも2段になって「国民学校倒壊 地震被害」と様子を伝えますが、メインは静岡県の話題。「全壊家屋は予想外に多いが、警防団員等出動して着々復興に努めている」と立ち直りを伝えるばかり。わずかに国民学倒壊で2学童が亡くなったとしただけ。
戦時下に発生した東南海地震の被害は、どう伝えられたか―厳しい報道統制で知らぬは日本国民ばかりの状態に

 名古屋発の記事も見出しは「救護班活動」。破損家屋の片づけは8日朝までに完了、「軽微ながら被害を受けた工場は日ごろ備えた工作隊必死の作業によってたちどころに復旧した」とあり、死者については触れていません。

 しかし、理科年表によると「静岡、愛知、三重などで死者行方不明1223人、住家全壊17599、半壊36520、流失3129。長野県諏訪盆地でも住家全壊12などの被害があった」というマグニチュード7・9の大地震でした。三重県など各地には津波も押し寄せていました。

 東南海地震最大の被害地であった名古屋では、中島飛行機半田製作所山方工場や三菱重工業名古屋航空機製作所道徳工場など、飛行機の生産工場が軒並み大打撃を受けていました。先に挙げた2工場は軟弱地盤、レンガ造り、老朽化、そして生産のために隔壁を取り除いてあったことなどで地震の一撃で倒壊、多数の作業員が圧死しました。この中には、長野県からの動員学徒の犠牲者が9人もいました。

 地元の中部日本新聞社は地震直後から緊急取材体制に入り、編集局は詳しい被害状況を夕刻までにつかんでいました。査閲デスクは特高課検閲係に報道内容の判断を求め続けていましたが、「軍需工場については一切ふれてはならん」「当局の発表を基本として、民心の安定を狙いとした内容に限ること」との厳命に終始。この結果、12月8日朝刊の記事は「地震による被害復旧は急速に行われ…闘志は満々と満ち溢れている」という、毎日新聞と同様の記事になりました。

 さて、長野県での報道はどうでしょう。昭和19年12月8日の信濃毎日新聞朝刊も特別の4ページ体制で、やはり3ページ目に2段見出し10行の記事が入りました。

<県下に強度の地震 諏訪地方等に倒壊家屋>
 「7日午後1時37分ころ県下全般にわたって強度の地震があり諏訪地方が最もひどく諏訪湖畔では家屋のガラス戸がことごとく破れ人家も倒壊したが死傷者はない見込み。なおこのほか県下では北沢工業、日本電子、東洋○○各工場建物、また日本無線○○工場事務所が倒壊したが直ちに復旧作業にとりかかった」

 記事の仕立て方は諏訪を震源とするかのような感じですが、続けて「名古屋地方に地震」「震源遠州灘」の2本の記事がいずれも5行ずつ、発生の事実のみを伝えています。軍需工場の被害も伝えているのは意外ですが、地震発生から3時間ほどして諏訪警察署が発表しています。動揺を抑えるため、県警察部と相談のうえ、正確な情報を出したとも考えられています。

 地元の東南海地震体験者の会によると、実際の被害は工場全壊8、半壊7。住家全壊13、半壊73。学校半壊2、負傷は数十名で、一人死亡した可能性があるが確認できていないとのことでしたが、こうした数字はこの後も出てきません。

 新聞はなぜ報道できなかったのでしょう。従来の新聞紙法に加え、日中戦争勃発とともに軍規保護法が強化されます。陸海軍からも戦況報道の要綱が出されます。内閣情報部職員の情報官には現役軍人が多数就任、検閲にとどまらず編集方針にも踏み込む統制をおこなうようになりました。また、政府が物資動員計画に基づいて紙の配給統制を始めたうえ、昭和15年には内閣情報部が情報局に昇格して情報統制の権限を強めたことも背景にあります。

 そして政府は昭和16年1月11日、国家総動員法に基づく新聞紙等掲載制限令を公布。軍事外交上の秘匿すべき事項、財政経済政策など国策遂行に重大な支障を生じる恐れのある事項は報道禁止に。それを決めるのは政府や軍でした。警察の特高係が目を光らせ、逆らうと用紙割当削減の恐れがあるという状況。太平洋戦争が始まると同法に基づく新聞事業令が公布され、新聞事業の規制と統制団体設置による管理が始まり、新聞の統合も政府の指導で急速に進められるなど、雑誌も含めた報道媒体への締め付けは激しいものになりました。

 実際に東南海地震でどのような指示が出されたか、国立公文書館の所蔵資料にありました。当時の検閲を知る貴重な資料ですので、以下に抜粋してみます。

内務省警保局図書課新聞検閲係「勤務日誌」 
【12月7日】
(一)全国主要日刊社、主要通信社電話通達
十二月七日午後発生セル震災ニ関スル記事ハ時局柄左記事項ニ御留意ノ上 記事編集相求度
          記
一 災害状況ハ誇大刺激的ニ無ラザルコト
二 軍ノ施設、軍需工場、鉄道、港湾、通信、船舶ノ被害等戦力低下ヲ推知セシムルガ如キ事項ヲ掲載セザルコト
三 被害程度ハ当局発表若ハ記事資料ヲ扱フコト
四 災害現場写真ハ掲載セザルコト

 (二)東京都及東海近畿各府県主要日刊社電話通達
1 本日電話ヲ以テ申入レ置キタル震災ニカカワル記事取扱注意事項ニ左記ヲ追加シタルニ付御了知相求度
          記
一 軍隊出動ノ記事ハ掲載セザルコト
二 名古屋、静岡等重要都市ガ被害ノ中心地或ハ被害甚大ナルガ如キ取扱ヲ為サザルコト

 (三)東京六県電話通達
本日ノ震災ニカカワル記事写真ハ凡ソ事前検閲ヲ受ケタル上御取扱相成度

【12月8日】
各庁府県電話通達
中部近畿地方震災ニ関スル記事取締要領
一 取締方針ニ付テハ昨日連絡セル注意事項ニ依ルコト
一 事前検閲ヲ励行スルコト
一 被害程度ノ数字ニ関スル発表ハ依然トシテ留保スルコト
一 被害状況ノ報道ハ単ニ被害ノ事実ノミノ報道ニ止ムルコトナク復旧又ハ救護等ノ活動状況ヲ主トシ併セテ被害ノ事実ヲ報道セシムル様指導スルコト
一 記事取扱注意事項第二項ニ示セル各種施設ノ被害ニ付テハ引続キ一切掲載セシメザルコト
一 ラジオ放送ニ付テハ近ク中央気象台発表(簡単ナルモノ)程度ノモノヲ放送スル筈ナルヲ以テ右放送以後地方放送ニ於テ、被害対策本部ノ設置等簡単ナル事項ノ放送ヲ為スモ差支ナシ
一 新聞報道ニ付テハ目下ノトコロ制限緩和ノ見込ナキヲ以テ災害地府県ニ於テ人心安定上必要アリト認ムルトキハ本要領ノ趣旨ニ則リ特報掲示ニ依ル報道差支ナシ 但シ被害程度ニ付テハ市町村ヲ単位トスル局地的ノモノニ止ムルコト

東京大社、関係府県主要日刊社電話及公式指導
厚生大臣ノ震災地慰問ニ関スル記事ハ一切之ヲ新聞紙ニ掲載セザル様記事編集上御注意相成度
(抜粋終了)

 以上を見れば分かりますが、東南海地震の報道規制は内務省からの指示が基本になっていて、各県の警察部の特高課で対応したのです。被害の数字を伝えてはだめで、写真も掲載禁止でした。そして発災翌日には記事の書き方まで指示してあり、各社が復旧の話ばかり載せた理由が分かります。それにしても大臣の視察が報道禁止とは、そこまで被害を過少に見せたかったのでしょうか。

 報道が抑え込まれて軽微な被害との印象を与えたことから、各地からの義捐金や救援物資も届かなかったといいます。そして海外では観測網によって日本で大きな地震が発生したことを把握していて、被害の状況も伝えるという、海外への防諜という意味は全くなく。神頼みで米英撃滅ってやっていたところに、神風じゃなくて地震で被害となったら、国内向けの士気が下がると思ったのかもしれません。こうして、国民へは限られた媒体で政府や軍の認めた情報しか流れなくなる状況に陥っていたのでした。

 参考資料ー戦争が消した諏訪震度6

2018年9月10日 記
2021年12月7日 追記

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2018年09月10日 Posted by信州戦争資料センター at 22:11 │資料