昭和20年9月28日の信濃毎日新聞、復員兵の思いを紹介―買い出し初めて知る、「国家がぐらついたのは国民の責任」とも

 太平洋戦争の敗戦から間もない昭和20年9月28日付の信濃毎日新聞。「青年をいかに導くか―巡査採用試験の答案をのぞく」と題し、「厳しすぎる現実に 立たぬ生活の設計」との見出しで試験を受けた復員者の言葉をまとめています。一読すると、それまで教えられてきたことと新しい状況への戸惑いに加え、前線にいたときにはわからなかったことが理解できた声や、国家がぐらついたのは国民の責任ーと言い放つ人もあり、軍と民衆のかい離が戦争中からずっとあったことが浮き彫りに。戦後間もない貴重な資料と判断、著作権切れもあり、全文転載します。
昭和20年9月28日の信濃毎日新聞、復員兵の思いを紹介―買い出し初めて知る、「国家がぐらついたのは国民の責任」とも



 <厳しすぎる現実に 立たぬ“生活の設計” “娑婆”に戸惑う復員兵>
 復員で郷里に帰ってきた青年たちは復員当初の無念と興奮からさめて、そろそろ身の振り方を決めようとしている。なすことなく街をぶらつく一部の復員者には「もっぱら買い出し」というようなことを平気で口にし、その不謹慎さに一部心ある人々の眉をひそめているが、いま彼等は一体何を考えているのだろうか。先ごろ行われた本県警察練習所の入所試験には陸士出の中尉も交えて平均年齢23歳の復員者たちが90%以上も押し寄せているが「今後我等は何をなすべきか」という作文の出題に対し、彼らは思い思いの感慨を率直に述べ、青年たちの動向を端的に物語っている。

 「絶対に負けるはずがないと思っていた日本軍が負けてしまった。軍隊生活に別れた時は興奮していたが、今は次第に冷めてきた。『敗戦』の内容を十分に知り、自分を振り返ってみたいと思う」と某海軍上曹は語り、また「教えられてきた特攻精神とこれからの生活を考えると、その差があまりに大きくて戸惑っている」と一曹が述べている。

 したがって「これからどうするか、といえば丸裸になって進まねばならないと思うが、その具体的な計画が少しも立たない」「我等こそ日本を再び発展させてゆかねばならないのであるが、ではどうすればよいかわからない」と、従来教え込まれたいわゆる軍人精神のやり場を失っているという形で「生活建設をどうしてゆくべきかの目鼻が立ちません」と心境をそのまま訴えているものがある。 「これから自由主義になるというが自由主義とはどんなものかわからない」と言っているものも多い。

 ある上等兵は「軍隊にいたときは世間ではなぜ買い出しなんかやるのだろう、そんなことをするから負けてしまったのだと思っていたが、軍隊を離れて初めて国民が食べるものも食べずに戦っていたことを知った。これをどう導いていくかが我等の務めです」。また「帰りの記者の中で買い出しの人々が何かで口論するのを見ましたが、その人々が買い出しをしなければどうしても生活できないことを知って驚きました」と、某海軍兵の言葉にあるように“買い出し”と今まで知らなかった世相を発見して驚いている。

 一海軍少尉は「国家のぐらついたのは国民の責任だ。自分は今まで軍隊で鍛えた体でお役に立ちたい」と言っている。その他「今合での軍官民離反がいけなかった。これからは警官となって“人民戦線”を守ってゆかねばならぬ」というような文字の生半可な理解のものもあった。

 こうした中にあって高一修の黒岩君は「我々の眼前には日増しに敗戦国としての姿が厳しい現実となってきました。これはわずか片鱗にすぎない。こうした重なる苦痛はどんなことをしても耐えてゆかねばならぬわけだが、具体的に我等の進む道というならば『承詔必謹』の道です。もしわれわれがいたずらに今までの考え方に拘泥しているならば到底解決できない問題が多い。情の激するところ正しい理性を失った行動に出ることは慎まなければならない。たとえば我々が被管理者の立場を忘れたごとき行動をすれば、それは逆に国の不忠となるのだ」と身を慎むことを強調しているものが僅か見られている。

 総じて「詔書の御精神に応えよう」との気分は誰しも持っているが、いざそれを具体的にどうするかの問題になると百人百様であたかも思想の混乱期の感がある。同練習所の言によれば「今までのことは何もかも忘れて出直そう」というものが三分の一、「これからは国の方針で言われるままにやっていこう」が三分の一、このほかに少数の「冷静に過去をかえりみて、これから進むべき道をじっとみつめよう」というものと、「盲人蛇におじず」的なものが一部にみられているが、ある一つのゆがんだ感情のものが一部にあるようで理性がめちゃめちゃになっていると当局では言っている。

 (転載終了。句読点と段落を入れ、難しい文字や仮名遣いを適宜現代語に直しました)

 試験の答案についても続く記事でふれており、例えば楠木正成や吉田松陰を「忠臣」として一応知ってはいるが具体的に「何で忠臣か」「どういうことをしたか」は答えられないという、とにかく覚えればいいという弊害が出ている様子。ほかにも地理や国語、全般に学力の低下がみられたということでした。8年間という長い戦争がどれだけのものを失ってきたか、成年教育は大きな社会問題の一つと記事は提起していました。

 2018年9月28日 記

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2018年09月28日 Posted by信州戦争資料センター at 22:19 │資料