徴兵は戦時下でも個々の事情に関係なく一兵卒扱い―総力戦の理解もなかった杓子定規の制度
大日本帝国における軍隊への徴兵は、基本的に個々の事情が斟酌されませんでした。大日本帝国憲法下の日本では、国民は「臣民」であり、天皇の「赤子(子ども)」であるので、個人の事情より国家の事情が優先されたからです。徴兵制に基づく国民皆兵とは、そういうものです。この考えに沿うあまり、優秀な研究者でも一兵卒として投入するという、近代戦、総力戦にはおよそ向かない事態を引き起こしています。こちらは、燃料開発を請け負っていた関西の会社から陸軍に提出された書類「応召職員召集解除方御斡旋嘆願ノ件」です。

大阪帝国大学を卒業して入社した社員の一人が、昭和17年(1942)8月1日から5か月の教育召集によって職場を離れているが、これによってアルコールから高オクタン燃料をつくる研究が滞っていると強調。召集解除を懇願しています。日付が10月ですから、しばらくは待っていたものの、納期も切迫してきているのでしょう。


「誠ニ困窮」 「日夜焦慮仕居候」との文言に、あせりが伝わってきます。

教育召集とは、徴兵検査で合格したが定員によって現役召集されなかった第一補充兵に対し、戦場に出ることに備えて最低限の軍事教育を施すための召集でした。
それにしても、昭和17年8月といえば、ガダルカナル島での戦闘が始まったころ。また、南方の石油は押さえたものの、海上輸送能力に課題がありました。そして高オクタン価の燃料製造技術は未熟という状況。燃料の開発が急務だったのは言うまでもありません。その中軸となる研究者を戦時の5か月間、無造作に一兵卒となる訓練に投入するとは、何を考えていたのか。徴兵が国を強くする方法などという人には、こうした実態をよく知った上で慎重に発言してもらいたいものです。
2019年2月6日 記
※このブログのコンテンツを整理したポータルサイト信州戦争資料センターもご利用ください。
大阪帝国大学を卒業して入社した社員の一人が、昭和17年(1942)8月1日から5か月の教育召集によって職場を離れているが、これによってアルコールから高オクタン燃料をつくる研究が滞っていると強調。召集解除を懇願しています。日付が10月ですから、しばらくは待っていたものの、納期も切迫してきているのでしょう。
「誠ニ困窮」 「日夜焦慮仕居候」との文言に、あせりが伝わってきます。
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