戦時紙芝居実演「玉砕軍神部隊」

戦時紙芝居実演「玉砕軍神部隊」


こちらの紙芝居は、太平洋戦争中にあったアッツ島をめぐる日米の戦闘を題材にしています。

「玉砕」というのは、日本軍にしかない言葉です。降伏することなく、最後の1兵まで死ぬまで戦って部隊が消滅するさまを、玉が砕けるという言葉で表しています。

太平洋戦争中、島に点々と配置された日本軍の部隊は、米軍の反撃で各個撃破されていきます。孤島で援軍もなく戦って、多くの兵士が、時には住民も巻き込んで死んでいく「玉砕」。アッツ島の戦いは、太平洋戦争で数多く繰り返された「玉砕」の最初の事例です。

昭和18年5月29日、山崎部隊長ら最後の守備兵が米軍に突撃して戦死、計二千数百人の兵士が亡くなりました。長野県出身の兵士も何人も戦死しています。

最後の一人まで戦ったところで、戦闘の勝敗が覆るわけではない。それでも、捕虜となることを恥として許さない日本軍の教え「戦陣訓」が、降伏して命を守るという合理的な考えを縛り、玉砕を強要していくことになるのです。その教えを守り、絶望の中で最後まで戦った兵士の胸中はどのような思いだったのでしょうか。望むと望まざるとにかかわらず、その無理な戦闘を一人一人の兵士が戦い抜いたのです。

戦争の指導者は、戦闘結果を「玉砕」という言葉で覆い、戦死者を「軍神」と祀り上げることで、敗北の本質を隠します。反発が出ないよう押さえ込むには、こうして本質を隠すのが一番です。一人ひとりの兵士が文字通り命がけで戦ったことと、そのような戦闘を強要した戦争指導者の立場は明確に区別し、兵士に敬意を示す一方で、戦争指導者の責任は厳しく追及されねばならないと考えます。

先の見通しもなく戦争に突入し、いつか神風が吹く、現人神をいただく日本が負けるはずがない、という非合理な思考を押し付けた戦争指導者の無責任体質の表れが「玉砕」だということをよく覚えておいてください。

アッツ島で戦死した山崎保代部隊長は、長野県とも縁があります。昭和11年8月から14年3月まで、松本市にあった歩兵第50連隊の隊付き将校として在籍し、昭和12年10月からは留守部隊長を務めています。

この紙芝居は昭和18年11月30日発行です。脚本・北島英作、絵画・西正世志、日本教育紙芝居協会製作。陸軍省報道部推薦、情報局委嘱作品とあり、戦意を奮い立たせる素材にと、国が力を入れていた様子がうかがえます。

お待たせしました。実演はこちらからどうぞ。

ただ、今回、実演してみて思ったのは、当時の言い回しが言葉では伝わりにくいこと。そしてすみません!「じょうぶん」とよむところを「じょうもん」と間違えてしまいました。機会があれば、更新します。「上聞(じょうぶん)」とは、天皇陛下に伝わるという意味であり、軍人にとって非常に名誉なことだったのです。

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2016年05月01日 Posted by信州戦争資料センター at 18:14 │収蔵品