神様、代用品ですが…昭和16年の正月に長野県に登場の陶器製鏡餅、敬神の念にこだわる人のための配慮とは

 昭和12年に始まった日中戦争が泥沼になっていた昭和15年、11月からコメの配給制が始まり、自由な取引ができなくなっていました。長野県内ではモチ米が足りなく、12月も下旬になってようやく配給量を確保できるという始末。そんな昭和15年の年の瀬、松本市に登場したのが長野県内初お目見えの「陶器製鏡餅」でした。
神様、代用品ですが…昭和16年の正月に長野県に登場の陶器製鏡餅、敬神の念にこだわる人のための配慮とは


 信州戦争資料センターが所有する陶器製鏡餅は長野市内の陶器店にあった昭和20年代製造の戦後品ですが、戦時中のものと変わりません。素焼きで直径24センチほど。2升分の鏡餅と同じ大きさのようです。
神様、代用品ですが…昭和16年の正月に長野県に登場の陶器製鏡餅、敬神の念にこだわる人のための配慮とは


 内部は空洞になっていて何か入れられるようです。
神様、代用品ですが…昭和16年の正月に長野県に登場の陶器製鏡餅、敬神の念にこだわる人のための配慮とは

 その理由が、昭和15年12月26日付信濃毎日新聞に載っていました(難しい漢字を適宜直し、句読点を入れ、読みやすくしてあります)。

 『神様、代用品ですが… 尖端を行く陶製の鏡餅
 【松本】ならべられた茶碗皿類の中に君臨するのは、これこそ代用品の尖端をゆく陶製鏡餅である―酒がない餅米がない新体制下のお正月が迫りつつあるが、こうした時勢でもより大きな鏡餅をそろへたいのは人情である。そこで軍都のさる陶器屋さんの店頭にこれが初見参すると羽根が生える様にうれていった。
 素焼きの見るからに見事なもので一合二合とりから三升とり位までその大きさによって作られており、値段も小は八銭から大は一円四十銭くらいまでで毎年使えるから重宝だ。
 いくら餅米がなくてもお鏡だけは本物でという、うるわしい敬神崇祖の念に応えて陶器屋さんは「これはふた物式に出来ていまして、中へお米なりお餅なり入れることが出来ますので、少しもそうした感じをそこなわれる事がありません」「農家辺りでは八割位はネズミに引かれてしまう。こうした時代には全くもったいないことです」ともっぱら不経済論を説いていた。』

 なるほど、外側は代用でも中に本物があれば良いと。

 なら、我が家のこれも大丈夫ですね!
神様、代用品ですが…昭和16年の正月に長野県に登場の陶器製鏡餅、敬神の念にこだわる人のための配慮とは



2018年1月1日 記

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2018年01月01日 Posted by信州戦争資料センター at 21:49 │収蔵品