鉄がなくても戦う

 日中戦争が始まって間もなく、鉄製品の製造が統制されて、陶器製のお釜など、さまざまな代用品を庶民が使っていくことになるのですが、太平洋戦争最末期には、ついにこんなものまで作られることに。


 これは、洒落た一輪挿し、ではもちろんなく、陶器製の手榴弾です。

 普通の手榴弾というのは金属でできていて、中に火薬と起爆装置を付けておき、発火させて相手に投げつけると爆発し、鉄の断片と爆発の衝撃で敵を倒すというもの。陶器では破片の殺傷効果が低いうえ、爆発の衝撃も小さくなるため、当然、兵器としての価値は大きく下がります。湿気対策も課題となったでしょう。

 戦争が長引き物資不足が慢性化する中、もはや武器にすら、鉄が使えないという状況だったことを示す貴重な品物です。そして、新聞報道などによりますと、硫黄島ではこの陶器製手りゅう弾の破片が見つかっており、使ったかどうかはともかく、一線部隊に配備されていたことになります。

 硫黄島の指揮官は、長野県出身の栗林忠道中将(死後大将)。こんな武器を前に、どんな思いで米軍を迎え撃ったのでしょうか。それはまさに、米軍に一撃を加えて戦争を終わらせたいという思いだったのではないでしょうか。しかし戦いはずるずると続き、沖縄、本土空襲激化、原爆投下、ソ連参戦と進んでも、いつまでも「一撃」を唱えていたのが日本の姿でした。

 そして、本土決戦に備えて全国にも配備されていたようです。もし日本本土上陸作戦があったら、兵隊や国民はこれを手に、敵に突っ込んでいったということです。当センターでは、ほかに陶器製の地雷も収蔵しています。こう書くと探知されない有効な兵器だと抗弁される方もおられるようですが、それは選択肢がある場合の話。これしか作れなかったという状況下である事実を直視しなければなりません。

 そして、ここまでしても戦争を終わらせられなかったということを事実として記録しておかなければいけないでしょう。戦争を終わらせることは、始める以上に難しいこと。そこに思いが至れば、戦争を始めようという思いは浮かんでこないと思うのですが。

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2015年03月16日 Posted by 信州戦争資料センター at 20:58収蔵品