戦時下の学生たち
昭和17年度に小県蚕業学校(現在の上田市の上田東高校)を卒業した卒業生の記念写真集を手に入れました。昭和18年3月のことです。最初に出てくるのが母校の全景、そのつぎに出てくるのが奉安殿です。教育勅語などを収め、登校したら敬礼をしなければならないというもの。

当時、日本の学校には、これがどこにでもあったんですね。天皇から与えられたお言葉に従う、という姿勢を通して、天皇のために働く、という国民が自然に育っていくのです。もっとも、ある人からは、戦後すぐのころ、これにおしっこをひっかけるようなことをしでかす児童がいたとか。形だけやっていても、の証明のようです。
この学校は「蚕業」というだけあって、ちゃんと蚕の実習の様子なども出てきます。

そして、次々と出てくるのが、軍事教練や防空演習といった、軍隊教育の場面です。



生徒たちは、ごく当たり前のこととして受け止めていたのでしょうか。それとも、写真に写っていない部分ではつらい表情を見せていたのでしょうか。いずれにしても、戦争、軍隊が隣り合わせの時代を痛感します。そして、この生徒たちが戦争末期を乗り切り、その技術を戦後の復興に役立てたであろうと思いたいです。
写真の一枚には、卒業生の戦死者とみられる写真を神棚に祭ってあるものがありました。その写真は、1枚や2枚ではありません。24枚ありました。このいなかの学校の卒業生が…。
戦争は結局、若者たちの将来を奪うものでしかない、そんな思いを強くしました。
※こちらのブログから訪問された方は、信州戦争資料センターもお訪ねください。
当時、日本の学校には、これがどこにでもあったんですね。天皇から与えられたお言葉に従う、という姿勢を通して、天皇のために働く、という国民が自然に育っていくのです。もっとも、ある人からは、戦後すぐのころ、これにおしっこをひっかけるようなことをしでかす児童がいたとか。形だけやっていても、の証明のようです。
この学校は「蚕業」というだけあって、ちゃんと蚕の実習の様子なども出てきます。
そして、次々と出てくるのが、軍事教練や防空演習といった、軍隊教育の場面です。
生徒たちは、ごく当たり前のこととして受け止めていたのでしょうか。それとも、写真に写っていない部分ではつらい表情を見せていたのでしょうか。いずれにしても、戦争、軍隊が隣り合わせの時代を痛感します。そして、この生徒たちが戦争末期を乗り切り、その技術を戦後の復興に役立てたであろうと思いたいです。
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「こんなのもあるんだよ」「いただいていいですか」「それはだめー」―でも、終戦直後の軍放出品をいただきました!
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