戦時資料の収集話その2
収蔵品の1割以上は、いろんな方からご寄贈いただいたものです。
最初の寄贈品は、妻の実家からでした。当時の債券や戦時中に子供が生まれたときの持ち寄り記録など、その生活が見えてくるものばかりでした。
その後も、昔の仕事仲間、知り合い、ネットで申し出ていただいた方…指折り数えると、実に多くの方に賛同いただき、貴重な品をご寄贈いただいたことか。
その中で、おひとりの方を紹介させていただきます。
新聞の記事に、伊那の宮島隆史さん方で終戦まもないころの新聞数か月分の束が見つかったこと、そして寄贈先を探していることが紹介されていました。
わたしは、まだ一般公開できる場所も持っていません。でも、こうした品物を大切に伝え、いずれ役立てたいという思いは本物です。そこで、無理を承知で宮島さんに電話をしました。そして電話口で、何とか自分の思いを伝えました。
ありがたいことに、宮島さんは、すぐ快諾してくれました。感謝です。とりあえず、近く訪問させていただくとしました。ところが、数日後、宅配便で新聞の束が届きました。写真がその一部です。本当にありがたいことです。年賀状を兼ねた礼状をだし、また、いずれ訪問してお礼をと考えていました。
2015年6月、宮島さんの新聞も使った本「S12-S20 信州と戦争の時代」を出版しました。これを持参して、今年こそと思っていた昨年末、宮島さんが亡くなられたとの喪中欠礼はがきが届きました。
会ってお礼を、との思いは、とうとうかなわなくなってしまいました。
しかし、宮島さんが托してくださった新聞は、ファイルで大切に保管し、その時に備えています。
将来に役立ててほしい、との宮島さんの思いは途切れることがありませんし、とぎれさせてはならないのです。
ご寄贈いただく品には、いつもそんな思いを込めています。
人のストーリーとつながった、一層重い「モノ」に、ぞんぶんに語らせられるよう、努力を続けていきます。
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戦時紙芝居実演「蘇る鐘」
「蘇る鐘」は、昭和16年12月20日発行。脚本・大庭鉄太郎、絵画・西正世志、日本教育紙芝居協会製作です。
昭和16年9月1日、日中戦争下、国家総動員法に基づく金属類回収令が施行されました。
すでに日中戦争開始から2年目の昭和13年、政府が兵器生産のため金属回収を呼び掛けていましたが、あくまで任意の供出でした。
しかし、際限ない日中戦争の泥沼化と、それに伴う米国との関係悪化によって需給関係が一層ひっ迫し、法律で強制的に回収に乗り出したのです。太平洋戦争の前に、もう大変な状態だったのです。
この紙芝居は、金属類回収令施行を受け、国民に広くその趣旨を浸透させる狙いで作られたものと考えられます。
実際、長野県からも多くの釣鐘が供出されました。長野市に近い信濃町には、帰ってこなかった釣鐘の代わりに石をぶら下げ、戦時中の行為を今に伝えている寺「称名寺」もあります。
当時の人がどんな思いで供出したのか、知る由もありません。ただ、「御国のため」の一言で、それまで大切にしてきたことが消えてしまう、そんな戦争の時代の雰囲気を感じていただければ幸いです。
個人的には、人々の鐘への思いを時計の合理性と引き比べる場面が、個人の幸せを押しつぶしていく戦争のにおいを感じさせてくれました。
実演をユーチューブにアップしました。こちらからどうぞ。
まだまだ滑舌もよくないし、声の工夫も足りないですが、これから精進していきますので、よろしくお願いします。
昭和16年9月1日、日中戦争下、国家総動員法に基づく金属類回収令が施行されました。
すでに日中戦争開始から2年目の昭和13年、政府が兵器生産のため金属回収を呼び掛けていましたが、あくまで任意の供出でした。
しかし、際限ない日中戦争の泥沼化と、それに伴う米国との関係悪化によって需給関係が一層ひっ迫し、法律で強制的に回収に乗り出したのです。太平洋戦争の前に、もう大変な状態だったのです。
この紙芝居は、金属類回収令施行を受け、国民に広くその趣旨を浸透させる狙いで作られたものと考えられます。
実際、長野県からも多くの釣鐘が供出されました。長野市に近い信濃町には、帰ってこなかった釣鐘の代わりに石をぶら下げ、戦時中の行為を今に伝えている寺「称名寺」もあります。
当時の人がどんな思いで供出したのか、知る由もありません。ただ、「御国のため」の一言で、それまで大切にしてきたことが消えてしまう、そんな戦争の時代の雰囲気を感じていただければ幸いです。
個人的には、人々の鐘への思いを時計の合理性と引き比べる場面が、個人の幸せを押しつぶしていく戦争のにおいを感じさせてくれました。
実演をユーチューブにアップしました。こちらからどうぞ。
まだまだ滑舌もよくないし、声の工夫も足りないですが、これから精進していきますので、よろしくお願いします。
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昭和17年の「翼賛選挙」に向けて長野県の学生が描いた選挙ポスターー若者を取り込む手法は共通
今でも選挙が近づくと中高生などに啓発ポスターの募集があったりします。このポスターは、昭和17年4月30日投開票の衆議院選挙に向けた作品です。
ちなみに、この選挙は昭和12年7月7日に日中戦争が始まってから終戦まで、戦時下に行った唯一の衆院選で、旧憲法下でも最後の選挙でした。そして、政党はすでに解散しており、大政翼賛の掛け声の中、国の政策を推進するためふさわしい人を国会議員に―と喧伝された「翼賛選挙」でもありました。
国の政策を進めるにあたって適当な人物の当選を目指すため、政府が大東亜戦争翼賛選挙貫徹運動基本要綱を決定。この方針に沿って候補の推薦を仕切るのは、大政翼賛会の別動部隊である翼賛政治体制協議会(会長は阿部信行陸軍大将)であったり、翼賛壮年団であったりという、いわゆる支配層だったわけです。
とはいえ、圧倒的多数の推薦候補を当選させる選挙の正統性を訴えるには、投票率が重要な指標となったでしょう。そんな機運を醸成するため、長野県は昭和17年4月11日、国民学校6年以上、青年学校、中等学校に対し「大東亜築く力だこの一票」などの選挙標語を入れたポスターの作成を指示します。18日までに適当な場所へ広く掲げるようにとしました。この作品は、赤穂農商学校(現・赤穂高校-駒ケ根市)3年生の水彩画で、大変丁寧に描いてあります。裏面に掲示用シールの跡もあり、確かに街頭へ飾ってあったとみられます。優秀作品は5月に表彰もされました。
こうした宣伝の中、候補を推薦で縛って対立候補を出させないようにし、もし出てきても徹底的に弾圧するー。長野県では、良識派の植原悦二郎ら、推薦外の候補は次々と警察の干渉を受けるなど弾圧されて一人も当選せず、全国的にも珍しい結果となりました。
一方で、「憲政の神様」尾崎行雄や反軍演説で罷免された斎藤隆雄らは堂々と当選し、庶民の反骨心もうかがえました。とはいえ、この選挙で推薦候補が圧倒的に大量当選し、政府や軍を後押しする組織としてしか機能しない議会がさらに強化され、終戦を迎えることになるのです。
※こちらのブログから訪問された方は、コンテンツを整理したポータルサイト信州戦争資料センターもお訪ねください。
ちなみに、この選挙は昭和12年7月7日に日中戦争が始まってから終戦まで、戦時下に行った唯一の衆院選で、旧憲法下でも最後の選挙でした。そして、政党はすでに解散しており、大政翼賛の掛け声の中、国の政策を推進するためふさわしい人を国会議員に―と喧伝された「翼賛選挙」でもありました。
国の政策を進めるにあたって適当な人物の当選を目指すため、政府が大東亜戦争翼賛選挙貫徹運動基本要綱を決定。この方針に沿って候補の推薦を仕切るのは、大政翼賛会の別動部隊である翼賛政治体制協議会(会長は阿部信行陸軍大将)であったり、翼賛壮年団であったりという、いわゆる支配層だったわけです。
とはいえ、圧倒的多数の推薦候補を当選させる選挙の正統性を訴えるには、投票率が重要な指標となったでしょう。そんな機運を醸成するため、長野県は昭和17年4月11日、国民学校6年以上、青年学校、中等学校に対し「大東亜築く力だこの一票」などの選挙標語を入れたポスターの作成を指示します。18日までに適当な場所へ広く掲げるようにとしました。この作品は、赤穂農商学校(現・赤穂高校-駒ケ根市)3年生の水彩画で、大変丁寧に描いてあります。裏面に掲示用シールの跡もあり、確かに街頭へ飾ってあったとみられます。優秀作品は5月に表彰もされました。
こうした宣伝の中、候補を推薦で縛って対立候補を出させないようにし、もし出てきても徹底的に弾圧するー。長野県では、良識派の植原悦二郎ら、推薦外の候補は次々と警察の干渉を受けるなど弾圧されて一人も当選せず、全国的にも珍しい結果となりました。
一方で、「憲政の神様」尾崎行雄や反軍演説で罷免された斎藤隆雄らは堂々と当選し、庶民の反骨心もうかがえました。とはいえ、この選挙で推薦候補が圧倒的に大量当選し、政府や軍を後押しする組織としてしか機能しない議会がさらに強化され、終戦を迎えることになるのです。
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主張をしないわけ
信州戦争資料センターは「戦争をしたくない」の1点で活動しています。
このブログを書いているセンター代表も、今の世の中に対し、もちろん言いたいことはたくさんあります。今の世相に危機感を感じ、もっと直接的な声を上げたほうが良いのではないか、という思いにかられることもあります。
しかし、信州戦争資料センターの一番の仕事は、物言わぬ「モノ」に語らせることです。
戦争の時代に生まれ、今に生きる「モノ」が、何を訴えるのか、多くの人に耳を澄ませて聞いてほしい。
そのためには、余分な雑音は不要です。
人の心には「確証バイアス」という働きがあります。
「確証バイアス」とは、自分が信じていることは正しいと確認できる証拠だけを見つめ、間違っていることは無視する心の動きのことです。
戦争を語るモノを真摯に見つめてもらうには、そうした「確証バイアス」をできるだけ起こさせないようにするのが大事だと思っています。
代表が何等かの主張をすれば、代表に対するある種の思い込みが生じるでしょう。その思い込みが確証バイアスに引っかかれば、モノを見てもその視点でしか声を聴けなくなるでしょう。
それゆえ、信州戦争資料センターは主張せず、静かにモノに語らせる道を選んでいるのです。
どんな立場、どんな考えの方でもいい。当時のモノに向き合ってもらいたい。
そして、その姿から、今の時代に訴えかけられる声を静かに感じてほしい。
そうはいっても、ブログの端々に、代表の思いが含まれることもあります。でも、それは、主張というよりも、モノの理解を助ける踏み台ぐらいに思ってもらえればちょうどいいでしょう。
そして、一人一人が将来の社会をどうすればいいのか、できうれば「戦争をしない」ようにするにはどうすればいいか、考えていただければ幸いです。
ここに挙げた写真は、死んでもラッパを離さなかったという日清戦争当時の兵隊の話です。戦時中は美談として語られました。
しかし、美談として語られていることを、素直にその通りに受け止めていいのか。
兵隊が死んだという事実を直視すれば、もっと違う姿が見えてくるのではないでしょうか。
とすると、この「美談」を読んでも、戦争を賛美するという気持ちとは違う気持ちが生まれるのではないでしょうか。
そんな思いで、これからも収蔵品を紹介していきます。
テレビ朝日のモーニングショーに協力
2016年4月4日、テレビ朝日で放送されたモーニングショーに、信州戦争資料センターが協力させていただきました。
皇居周辺を歩いていろんな話題を発掘するというコーナーで、靖国神社に第一徴兵保険株式会社が門を寄付したという話が紹介されました。
この徴兵保険の説明用にと、チラシなどの写真提供依頼があったのです。
所蔵品を調べたところ、第一徴兵保険のチラシ2種類、証券類が出てきましたので、それぞれ写真に撮影。メールで番組の担当者に送付しました。
1枚だけでも使ってもらえたらいいなと考えていたら、保険証券とチラシと、2種類の写真をけっこう長い時間、使っていただきました。「所蔵・信州戦争資料センター」のテロップ付きで。
こちら、徴兵保険の証券と証券入れ。長野県内の方のものです。

こちら、徴兵保険のチラシ。母子像が特徴。1枚は武石村の代理店が販促に使ったものです。

昨年の8月にも何度かテレビ局からのアプローチはあったのですが、実際放送されたのは初めてで、役に立ててうれしかったです.。
収蔵品が、こうした形で役立つなら何よりです。
今後も、マスコミ関係や団体の要望には積極的に協力していきたいと思っています。
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皇居周辺を歩いていろんな話題を発掘するというコーナーで、靖国神社に第一徴兵保険株式会社が門を寄付したという話が紹介されました。
この徴兵保険の説明用にと、チラシなどの写真提供依頼があったのです。
所蔵品を調べたところ、第一徴兵保険のチラシ2種類、証券類が出てきましたので、それぞれ写真に撮影。メールで番組の担当者に送付しました。
1枚だけでも使ってもらえたらいいなと考えていたら、保険証券とチラシと、2種類の写真をけっこう長い時間、使っていただきました。「所蔵・信州戦争資料センター」のテロップ付きで。
こちら、徴兵保険の証券と証券入れ。長野県内の方のものです。
こちら、徴兵保険のチラシ。母子像が特徴。1枚は武石村の代理店が販促に使ったものです。
昨年の8月にも何度かテレビ局からのアプローチはあったのですが、実際放送されたのは初めてで、役に立ててうれしかったです.。
収蔵品が、こうした形で役立つなら何よりです。
今後も、マスコミ関係や団体の要望には積極的に協力していきたいと思っています。
※こちらのブログから訪問された方は、信州戦争資料センターもお訪ねください。
戦時資料の収集話その1
戦時資料の収集を2007年に初めてから、間もなく9年になります。一言で「集める」と言っても、さまざまな方法があります。
一番数が多いのが、ネットオークションでの購入。そして古書店からの購入。さらに大切でやはり収集の柱になっているのが、ゆかりの人から戦時資料をお譲りいただくこと。
今回は、オークションでの購入についてお話しします。

オークションには、実に多様な戦時資料が出回っています。正直、びっくりしました。それぞれさまざまな理由で流れてきた品を少しずつ掬い取り、つなぎ合わせていく作業をしているといった感じです。大量のものの中から、必要なものを選び出すため、日々、キーワード検索をして目星をつけ、落札していきます。
分量が多いため、絞らないときりがありません。わたしは、戦争と庶民の関係に注目しているため、軍関連の品は最小限にとどめています。その代わり、たとえば徴兵関連の書類は個人とかかわるモノですので、積極的に集めています。戦死や平時の軍隊生活についても同様です。
オークションとなると、競争相手がいる場合、思わぬ高額になっていく場合があります。限られた資金、なくなく見逃したことも一度や二度ではありません。今でも惜しかったのが、伊那高等女学校の教員が出征するとき、学生たちが書いた寄せ書きを入手できなかったことです。
落札した品を入手すると、まずはノートに記録します。そして、袋に入れたりファイルに入れたりして保管します。最後にアクセスプログラムで作った手製のデータベースに登録します。これで、何がこれから必要なのか、どんなものを持っているか、把握できます。資金に余裕があれば、もっとしっかりした保存をしたいのですが。
いまのところ、活動は信州戦争資料センターで行っていますが、収集は代表が個人で実施しています。資金も、代表がこづかいからねん出しているだけです。だから大好きだったプラモデルもやめました。映画撮影にと収集したモデルガンも、購入資金とするため全部売り払いました。喫茶店や飲み屋に行くこともありません。ひたすら、使える資金は資料収集にあてています。
これまで、ざっと250万円余りかかっています。それでも、放置していれば、散逸するばかり。お金をかければ集まるというものでもありません。金の価値には代えられません。わたしが次世代への責任を持って収集し、整理していきたい。必ず、未来に役立つと信じています。
(続く)
※こちらのブログから訪問された方は、信州戦争資料センターもお訪ねください。
一番数が多いのが、ネットオークションでの購入。そして古書店からの購入。さらに大切でやはり収集の柱になっているのが、ゆかりの人から戦時資料をお譲りいただくこと。
今回は、オークションでの購入についてお話しします。
オークションには、実に多様な戦時資料が出回っています。正直、びっくりしました。それぞれさまざまな理由で流れてきた品を少しずつ掬い取り、つなぎ合わせていく作業をしているといった感じです。大量のものの中から、必要なものを選び出すため、日々、キーワード検索をして目星をつけ、落札していきます。
分量が多いため、絞らないときりがありません。わたしは、戦争と庶民の関係に注目しているため、軍関連の品は最小限にとどめています。その代わり、たとえば徴兵関連の書類は個人とかかわるモノですので、積極的に集めています。戦死や平時の軍隊生活についても同様です。
オークションとなると、競争相手がいる場合、思わぬ高額になっていく場合があります。限られた資金、なくなく見逃したことも一度や二度ではありません。今でも惜しかったのが、伊那高等女学校の教員が出征するとき、学生たちが書いた寄せ書きを入手できなかったことです。
落札した品を入手すると、まずはノートに記録します。そして、袋に入れたりファイルに入れたりして保管します。最後にアクセスプログラムで作った手製のデータベースに登録します。これで、何がこれから必要なのか、どんなものを持っているか、把握できます。資金に余裕があれば、もっとしっかりした保存をしたいのですが。
いまのところ、活動は信州戦争資料センターで行っていますが、収集は代表が個人で実施しています。資金も、代表がこづかいからねん出しているだけです。だから大好きだったプラモデルもやめました。映画撮影にと収集したモデルガンも、購入資金とするため全部売り払いました。喫茶店や飲み屋に行くこともありません。ひたすら、使える資金は資料収集にあてています。
これまで、ざっと250万円余りかかっています。それでも、放置していれば、散逸するばかり。お金をかければ集まるというものでもありません。金の価値には代えられません。わたしが次世代への責任を持って収集し、整理していきたい。必ず、未来に役立つと信じています。
(続く)
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書道の練習に紙は不要-実は現代にも復活している再生可能な練習帳
日中戦争が始まって2年、3年とするうちに、さまざまな物資が不足してきます。紙もその一つ。戦略物資を優先して輸入するため、限られた船舶では紙の原料を輸入する余力がなく、生産を減らすしかありませんでした。当時の新聞なんかは、戦争で紙面はほしいし購読者は増えるのに紙が抑制されて仕方なく減ページ。その結果、必要最低限のことしか載らない、大変つまらない紙面となっていきます。
そして、文房具の世界にも押し寄せた紙不足。
でも、紙の心配をせず、ぞんぶんに練習できる画期的商品が登場します。
きれいな筆に水をふくませ、この習字帳に書くと、黒々とした文字が浮かぶというもの。
かわけば文字が消え、何度でも使用可能という、万年練習帳。昭和16年3月の信濃毎日新聞に、別の会社ですが、同様の製品の広告がありました。「不良品にご注意」とあり、さまざまな会社が同様の商品を発売したとみられます。
もっとも、戦争末期にはついに学校の授業停止、全員勤労奉仕、となってしまうのですが。
そして最近、行きつけの文房具店で同様の品を発見! 時空を超えて、物不足克服の精神が受け継がれていました。
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そして、文房具の世界にも押し寄せた紙不足。
でも、紙の心配をせず、ぞんぶんに練習できる画期的商品が登場します。
水書習字練習帳
きれいな筆に水をふくませ、この習字帳に書くと、黒々とした文字が浮かぶというもの。
かわけば文字が消え、何度でも使用可能という、万年練習帳。昭和16年3月の信濃毎日新聞に、別の会社ですが、同様の製品の広告がありました。「不良品にご注意」とあり、さまざまな会社が同様の商品を発売したとみられます。
もっとも、戦争末期にはついに学校の授業停止、全員勤労奉仕、となってしまうのですが。
そして最近、行きつけの文房具店で同様の品を発見! 時空を超えて、物不足克服の精神が受け継がれていました。
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