土蔵の迷彩塗装-黒と赤のだんだら迷彩、効果のほどは
以前、長野県木曽町に行って撮影してきた、戦時中に迷彩をほどこしたという土蔵を紹介します。
太平洋戦争も末期になり、日本への空襲の危機が叫ばれるようになると、土蔵の白壁が夜目に目立つとして、すすなどを塗って迷彩することが盛んに行なわれました。たいていは、白壁の上に黒を塗ったものですが、木曽町の土蔵はなんと、黒と赤の迷彩です。
とびらにも、丁寧に色が塗ってあります。
残念ながら、日の当たっていた場所はだいぶ色がおちています。
この土蔵の持ち主のNさんによると、Nさんが小学4年生だった昭和20年の春ごろ、近所のペンキ屋さんに頼んで塗ってもらったとのこと。「酒を飲まないと手が震える」との理由で、酒を飲みながら描いてくれたそうです(笑)。
ちなみに、当時の福島小学校では、4年までは農家の手伝い、5、6年が軍事教練をしていたといいます。木曽町で収集した短く切った木銃も、そうした上級生が使ったのでしょう。
こうした戦争の証人も、しだいに形を失っていくものです。できる限り、記録していきたいものです。
※こちらのブログから訪問された方は、コンテンツを整理したポータルサイト信州戦争資料センターもお訪ねください。
太平洋戦争も末期になり、日本への空襲の危機が叫ばれるようになると、土蔵の白壁が夜目に目立つとして、すすなどを塗って迷彩することが盛んに行なわれました。たいていは、白壁の上に黒を塗ったものですが、木曽町の土蔵はなんと、黒と赤の迷彩です。
とびらにも、丁寧に色が塗ってあります。
残念ながら、日の当たっていた場所はだいぶ色がおちています。
この土蔵の持ち主のNさんによると、Nさんが小学4年生だった昭和20年の春ごろ、近所のペンキ屋さんに頼んで塗ってもらったとのこと。「酒を飲まないと手が震える」との理由で、酒を飲みながら描いてくれたそうです(笑)。
ちなみに、当時の福島小学校では、4年までは農家の手伝い、5、6年が軍事教練をしていたといいます。木曽町で収集した短く切った木銃も、そうした上級生が使ったのでしょう。
こうした戦争の証人も、しだいに形を失っていくものです。できる限り、記録していきたいものです。
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