記事のご縁で
先日、信州戦争資料センターの活動を紹介いただいた毎日新聞の記事を見た岡谷市の方から、「古いものがあるので、よかったら見てもらえないか」と連絡がありました。
雨の高速道路をブッ飛ばしておじやまし、昭和17年生まれの最後の戦中世代の男性からお話しをうかがいました。それによると、お父様が昭和19年に33歳で中国に出征されたとのこと。そして、お父様のご兄弟が昭和14年に入営し、中国からビルマで戦い、最後はメイクテーラーで終戦の5か月前に戦死されたことがわかりました。また、ご兄弟のもう一人も、憲兵にいたため戦後にソ連に抑留され、最後の帰還船で昭和30年にやっと戻られたと。本当に大変な時代だったのだと実感させていただきました。
戦死されたおじさまの勲章類や遺影、お父様が持っておられた太平洋戦争開戦後の戦局地図など、貴重な品々を託していただきました。その中の一つをご紹介します。
「戦役参加 名誉の家」とある、ホーローの板です。戦時中、兵隊が戦地に出向いた家庭に、地元の在郷軍人会などが寄贈したものです。お話しをうかがった男性によると、自宅の柱にこれが打ち付けてあったのを覚えているとのこと。そして、家を建て替えたのですが、これは何となく、本当に何となく、残したとのことでした。
男性のお父様が出征されたのは昭和19年。ホーローという金属製のこうした札を作る余力はなかった時代です。とすると、おそらく戦死されたおじさまの出征時に掲げられたものと考えられます。他の地域の木製の札をみたことはありますが、ホーローのしっかりした品は初見でした。やはり、財力のあった諏訪地方ならではのものかと納得しました。
資料を点検していたところ、ひょっこりと小さな家族写真が出てきました。戦後間もなくの、男性を含めたお父様と一緒の家族写真でした。「こりゃ、いいものが見つかった」と喜ばれる姿を見て、お父様が生きて帰られただけでも、本当に良かったと思えました。「お願いして、すっきりしました」との言葉をいただき、辞去しました。
今後、大切に保管させていただきつつ、展示や出版などに役立て、次世代に戦争の姿を伝えるよう、努力する所存です。
ちなみに、お父様は自動車が運転できたので、後方の輸送部隊に配属されたのですが、それでも前線に物資を運ばねばならないので危険と隣り合わせ。目的地に到着し、防空壕にトラックを入れたところ、さきほどまで止まっていた場所に爆弾が落ちて、すんでのところで命拾いをしたとのことでした。
※こちらのブログから訪問された方は、信州戦争資料センターもお訪ねください。
雨の高速道路をブッ飛ばしておじやまし、昭和17年生まれの最後の戦中世代の男性からお話しをうかがいました。それによると、お父様が昭和19年に33歳で中国に出征されたとのこと。そして、お父様のご兄弟が昭和14年に入営し、中国からビルマで戦い、最後はメイクテーラーで終戦の5か月前に戦死されたことがわかりました。また、ご兄弟のもう一人も、憲兵にいたため戦後にソ連に抑留され、最後の帰還船で昭和30年にやっと戻られたと。本当に大変な時代だったのだと実感させていただきました。
戦死されたおじさまの勲章類や遺影、お父様が持っておられた太平洋戦争開戦後の戦局地図など、貴重な品々を託していただきました。その中の一つをご紹介します。
「戦役参加 名誉の家」とある、ホーローの板です。戦時中、兵隊が戦地に出向いた家庭に、地元の在郷軍人会などが寄贈したものです。お話しをうかがった男性によると、自宅の柱にこれが打ち付けてあったのを覚えているとのこと。そして、家を建て替えたのですが、これは何となく、本当に何となく、残したとのことでした。
男性のお父様が出征されたのは昭和19年。ホーローという金属製のこうした札を作る余力はなかった時代です。とすると、おそらく戦死されたおじさまの出征時に掲げられたものと考えられます。他の地域の木製の札をみたことはありますが、ホーローのしっかりした品は初見でした。やはり、財力のあった諏訪地方ならではのものかと納得しました。
資料を点検していたところ、ひょっこりと小さな家族写真が出てきました。戦後間もなくの、男性を含めたお父様と一緒の家族写真でした。「こりゃ、いいものが見つかった」と喜ばれる姿を見て、お父様が生きて帰られただけでも、本当に良かったと思えました。「お願いして、すっきりしました」との言葉をいただき、辞去しました。
今後、大切に保管させていただきつつ、展示や出版などに役立て、次世代に戦争の姿を伝えるよう、努力する所存です。
ちなみに、お父様は自動車が運転できたので、後方の輸送部隊に配属されたのですが、それでも前線に物資を運ばねばならないので危険と隣り合わせ。目的地に到着し、防空壕にトラックを入れたところ、さきほどまで止まっていた場所に爆弾が落ちて、すんでのところで命拾いをしたとのことでした。
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