戦争のために用意された物資は、戦争が終わると生まれ変わりました―これは何から何へ?
これは、戦時中に使われていたある物資を戦後、水筒にする途中だったものです。
そこに穴を埋めた跡があります。昭和20年の刻印もあります。
大きさや形は少し違いますが、こんなものになるはずでした。
底には穴が。
とうにお分かりですよね。防毒マスクの吸収缶です。
この部品を水筒に再生しようと思いついた人はすごいって思います。底の穴の埋め方から、それなりの技術をちゃんと生かしていると。そして終戦時にこの物資をどうやって確保したか、大変興味があります。おそらく、日本全国で目端の利く人たちがうまく立ち回っていたのでしょう。
昭和20年9月3日の信濃毎日新聞。「鉄かぶとの鍋はいかが」と題した記事がありました。
諏訪郡永明村の原商事の取締役が県に見本を持ち込み、県も「県内には1万個以上の鉄兜」があり、全部をお鍋に化けさせたいとその方法を検討中とか。
戦争が終わっても、人々の営みは続きます。そんな力強さも感じます。ぜひ、再生鍋を手に入れたいものです。
2018年1月27日 記
※こちらのブログから訪問された方は、信州戦争資料センターもお訪ねください。
そこに穴を埋めた跡があります。昭和20年の刻印もあります。
大きさや形は少し違いますが、こんなものになるはずでした。
底には穴が。
とうにお分かりですよね。防毒マスクの吸収缶です。
この部品を水筒に再生しようと思いついた人はすごいって思います。底の穴の埋め方から、それなりの技術をちゃんと生かしていると。そして終戦時にこの物資をどうやって確保したか、大変興味があります。おそらく、日本全国で目端の利く人たちがうまく立ち回っていたのでしょう。
昭和20年9月3日の信濃毎日新聞。「鉄かぶとの鍋はいかが」と題した記事がありました。
諏訪郡永明村の原商事の取締役が県に見本を持ち込み、県も「県内には1万個以上の鉄兜」があり、全部をお鍋に化けさせたいとその方法を検討中とか。
戦争が終わっても、人々の営みは続きます。そんな力強さも感じます。ぜひ、再生鍋を手に入れたいものです。
2018年1月27日 記
※こちらのブログから訪問された方は、信州戦争資料センターもお訪ねください。
日清戦争中のおもちゃ店は、やはり軍事関連が人気
徴兵は戦時下でも個々の事情に関係なく一兵卒扱い―総力戦の理解もなかった杓子定規の制度
それぞれの10月16日―同じ日付の収蔵品を並べ、大正5年から昭和21年までの戦争を挟んだ世の流れを実感
戦時下、いろんな貯蓄がありましたが「一機一艦一銭貯金―戦果発表記念貯金」とは。戦果に連動して貯金額が決まりますが…
昭和14年5月に始まった廃品回収、同年10月にあらゆる値段を固定する9・18ストップ令で1年後にはとんでもない状態に
「こんなのもあるんだよ」「いただいていいですか」「それはだめー」―でも、終戦直後の軍放出品をいただきました!
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