長野県主催の歩兵第50連隊歓迎会で記念に出された杯、出荷したお店を訪ねて来歴を探りました

 明治38年3月に設置された歩兵第50連隊が長野県松本市に移駐したのは明治41年11月のことです。関連品をあさっていて、こんな記念の杯が出てきました。
長野県主催の歩兵第50連隊歓迎会で記念に出された杯、出荷したお店を訪ねて来歴を探りました

  「長野県主催歩兵第五十連隊歓迎会記念」とあります。
長野県主催の歩兵第50連隊歓迎会で記念に出された杯、出荷したお店を訪ねて来歴を探りました

 「歩兵第五十連隊史」を開いてみましたが、特に歓迎会の記述はありません。普通に考えれば、これは明治の松本移駐のころに開いたものと言えます。ただ、この杯には、出荷したであろう商店のラベル「各国陶磁器 長野カク為 藤嘉精選」が付いていました。
長野県主催の歩兵第50連隊歓迎会で記念に出された杯、出荷したお店を訪ねて来歴を探りました

 これは、長野市中心部にある陶磁器店「藤嘉」のことではないか、ならば訪ねて何か手がかりが得られるかもしれないと思い、お店を訪ねました。

 応対していただいたのは、6代目の滝沢嘉助さま=訪問時67歳=。まずは明治期にこの屋号を使っていたか、ということですが、1854年の安政元年創業以来、すっとカク為の名前とともに使っているとのこと。ちなみに、お名前も代々襲名しているといい「手続きが大変なんですよ」と笑いながらお話くださいました。

 杯を見ていただくと「このシール、懐かしいですね」とおっしゃられました。「薄口の美濃焼。市之倉で作ったものですね。マークや文字は転写でしょう。全体の厚さが均一でできの良い品ではありますが、値段は安い方だと思います」と、さすが、専門家です。そしてラベルを張ってあったのは「箱入りではなく、宴席に並べて使うのが前提。乾杯したら、各自でたもとに入れてそのまま持ち帰ってもらえるようにしたのです。おそらく、出血サービスをしたので、その代わりにPRをということだったのでしょう」と当時の取引の背景まで教えていただきました。

 ところが年代については「昭和に入ったころのものでしょう」と衝撃のご発言。明治40年代ではないかとの質問にも、そうとは考えられないとのこと。うーん、これは困りました。ただ、決定打は出ません。先の連隊史には、大正10年に長野県を含む5府県の特別大演習があったと記載してあり、写真集には長野市を訪れている写真があるので、もしかしたら、この時に長野県が地元部隊を慰労しようと歓迎したことがあったかもしれません。

 確たる年代は不明ですが、当時の軍隊と地域のかかわりの一端をうかがうことができ、また、地元のお店についても見識を深めることができました。やはり、モノから地域へと広がる歴史研究は面白いものです。

2018年5月22日 記

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2018年05月22日 Posted by信州戦争資料センター at 13:10 │収蔵品