ニューラルネットワークによる自動色付け―戦時下の伊那高等女学校(下)
昭和17年度の長野県上伊那郡伊那町の伊那高等女学校(現・伊那弥生ケ丘高校、伊那市)卒業記念写真帳掲載写真を使った、自動色付け。WEB上でモノクロ写真をカラー写真のように加工できる、ニューラルネットワークによる自動色付けを利用しています。早稲田大学の飯塚里志さま、 シモセラ・エドガーさま、石川博さま、関係各位に熱く御礼、そしてネット公開していただいていることに感謝いたします。
耐寒鍛練武道
こちらが元写真
左側の生徒が持っているのはなぎなたの木刀です。右側の生徒が持っているのは普通の木刀です。ほかにも弓道の写真がありました。また、雪の中での駅伝競走も。表情に色がさすと、実在感が増します。昭和19年度には正科として「武道・教練・修練」が据えられます。
勤労奉仕(軍服修理)
こちらが元写真
当時、同校では裁縫の授業もありました。授業の成果を生かした奉仕活動です。しかし、篠ノ井高等女学校などはやがて学校にミシンが運び込まれ、本格的な工場となっていくのです。
七夕祭。学芸会
こちらが元写真
こちらの写真は、自動色付けの限界を示しています。背後の幕の帯はおそらく赤、七夕飾りも短冊は白が基調のようですが他の飾りの色を再現できません。布であり紙であることは画像から判断できても、特徴的な着物などと違い、何色かを判断する材料が得られないのでしょう。ただ、板の間に座っている生徒たちの存在感は確実に増して、立体的になっているようです。
物資が急速に減少するのは昭和18年末ごろから、学生が授業を停止させられるのは昭和20年から。この時期、戦時下ではあってもまだ余裕があった時代といえます。前後の時代の女学校の写真も入手し、色付けで比較したいと考えています。
2018年1月3日 記
※こちらのブログから訪問された方は、信州戦争資料センターもお訪ねください。
耐寒鍛練武道

こちらが元写真

左側の生徒が持っているのはなぎなたの木刀です。右側の生徒が持っているのは普通の木刀です。ほかにも弓道の写真がありました。また、雪の中での駅伝競走も。表情に色がさすと、実在感が増します。昭和19年度には正科として「武道・教練・修練」が据えられます。
勤労奉仕(軍服修理)

こちらが元写真

当時、同校では裁縫の授業もありました。授業の成果を生かした奉仕活動です。しかし、篠ノ井高等女学校などはやがて学校にミシンが運び込まれ、本格的な工場となっていくのです。
七夕祭。学芸会

こちらが元写真

こちらの写真は、自動色付けの限界を示しています。背後の幕の帯はおそらく赤、七夕飾りも短冊は白が基調のようですが他の飾りの色を再現できません。布であり紙であることは画像から判断できても、特徴的な着物などと違い、何色かを判断する材料が得られないのでしょう。ただ、板の間に座っている生徒たちの存在感は確実に増して、立体的になっているようです。
物資が急速に減少するのは昭和18年末ごろから、学生が授業を停止させられるのは昭和20年から。この時期、戦時下ではあってもまだ余裕があった時代といえます。前後の時代の女学校の写真も入手し、色付けで比較したいと考えています。
2018年1月3日 記
※こちらのブログから訪問された方は、信州戦争資料センターもお訪ねください。
日本全国の学校に作られた奉安殿。実際に空襲を受けた小県蚕業学校にも―モノクロカラー化展示会作品⑬
満州事変下の昭和8年ごろ、慰問袋集めに取り組んだ長野商業学校―モノクロカラー化展示会用作品
太平洋戦争下の昭和17年、長野県の南安曇農学校で真剣に実施した大模擬戦―モノクロ写真カラー化展示会用作品⑪
昭和7年の長野県木曽中学で生徒が披露した分列行進―モノクロ写真カラー化展示会用作品⑩
太平洋戦争下の昭和17年、教練で銃剣突撃に移らんとする小県蚕業学校生徒たち―モノクロ写真カラー化展示会用修正作品⑨
昭和8年当時、高田の歩兵連隊で「営内宿泊」した長野商業学校生たち―モノクロカラー化展示会用修正作品⑧
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