満州事変中の昭和7-8年、木曽中等学校の生徒たち #ニューラルネットワークによる自動色付け
長野県木曽中等学校(現・木曽青峰高校=木曽町)の昭和7年度卒業アルバム掲載の写真を自動色付けしました。軍事教練の写真とは一味違う、生徒たちの素顔が蘇りました。こちらは、寄宿舎と生徒たち。こちらが元写真です。
学校のあった木曽福島町では、毎年6月に「明治大帝御駐輦記念奉祝相撲大会」がありました。町役場前に土俵を築き、昼間は子供たち、そして夜になって青年たちが相撲を取り、町民を沸かせました。地元の中等学校の生徒、青年団らのチームの対抗戦は、一番の呼び物だったといいます。これが夜に入った昭和7年の同相撲大会です。
こちらが元写真。
出場を待つ、木曽中等学校の生徒たち。
こちらが元写真。
卒業アルバムには、水泳部の写真がありました。練習場所は、近くの木曽川だったようです。右から3人目は指導教官。
こちらが元写真。
飛び込みの瞬間。当時は、両手を後ろに引いているのが飛び込みの姿勢でした。
こちらが元写真。
彼らが通った学校には、やはり奉安殿がありました。
こちらが元写真です。
生徒たちの軍事教練の色付け写真も、ぜひご覧ください。
2018年1月30日 記
※こちらのブログから訪問された方は、信州戦争資料センターもお訪ねください。
WEB上でモノクロ写真をカラー写真のように加工できる、ニューラルネットワークによる自動色付けを利用しています。早稲田大学の飯塚里志さま、 シモセラ・エドガーさま、石川博さま、関係各位に熱く御礼、そしてネット公開していただいていることに感謝いたします。
日本全国の学校に作られた奉安殿。実際に空襲を受けた小県蚕業学校にも―モノクロカラー化展示会作品⑬
満州事変下の昭和8年ごろ、慰問袋集めに取り組んだ長野商業学校―モノクロカラー化展示会用作品
太平洋戦争下の昭和17年、長野県の南安曇農学校で真剣に実施した大模擬戦―モノクロ写真カラー化展示会用作品⑪
昭和7年の長野県木曽中学で生徒が披露した分列行進―モノクロ写真カラー化展示会用作品⑩
太平洋戦争下の昭和17年、教練で銃剣突撃に移らんとする小県蚕業学校生徒たち―モノクロ写真カラー化展示会用修正作品⑨
昭和8年当時、高田の歩兵連隊で「営内宿泊」した長野商業学校生たち―モノクロカラー化展示会用修正作品⑧
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