戦争は弾が飛びかい殺し合うことだという基本をカラーで実感しよう #ニューラルネットワークによる自動色付け
満州事変当時、長野県から満州に出動した松本歩兵第50連隊の兵士のアルバムから、戦場の様子を伝える写真を色付けしてみました。
作戦行動中、疲れて眠る兵士たちです。当時、現役の精兵ばかりでしたが、こうした情景になります。こちらが元写真。
こちら、銃弾が命中した鉄兜や装備が並べられています。死者名簿にある名前ではなかったのですが、違う部隊の兵士の可能性もあるし、死亡した兵士のものか負傷した兵士のものか判然としません。
こちらが元写真です。
弾痕が付いた鉄兜を手にする兵士。頭部を負傷しており、鉄兜のおかげで命をとりとめた様子です。
こちらが元写真です。
こちら、弾痕のある鉄兜と、銃弾に貫かれたらしい日の丸です。
こちらが元写真です。
こんな銃弾が飛び交うのです。命が残るかどうかは紙一重です。それが戦場なのです。
そんな場所へ兵士を送り込む為政者に、どれほどの責任があるか。戦闘の回避に全力をかけるのが絶対であり、それ以外の選択肢を安易に想定するべきではないでしょう。簡単に「お国のために」といえるものではないと思います。
2018年3月22日 記
2019年1月11日 追記
※このブログのコンテンツを整理したポータルサイト信州戦争資料センターもご利用ください。
※WEB上でモノクロ写真をカラー写真のように加工できる、ニューラルネットワークによる自動色付けを試しています。早稲田大学の飯塚里志さま、 シモセラ・エドガーさま、石川博さま、関係各位に熱く御礼いたします。公開方法については、首都大学東京准教授の渡邉英徳さまにご示唆をいただきました。ありがとうございました。
※他の自動色付け写真はこちらの一覧からごらんください。
作戦行動中、疲れて眠る兵士たちです。当時、現役の精兵ばかりでしたが、こうした情景になります。こちらが元写真。
こちら、銃弾が命中した鉄兜や装備が並べられています。死者名簿にある名前ではなかったのですが、違う部隊の兵士の可能性もあるし、死亡した兵士のものか負傷した兵士のものか判然としません。
こちらが元写真です。
弾痕が付いた鉄兜を手にする兵士。頭部を負傷しており、鉄兜のおかげで命をとりとめた様子です。
こちらが元写真です。
こちら、弾痕のある鉄兜と、銃弾に貫かれたらしい日の丸です。
こちらが元写真です。
こんな銃弾が飛び交うのです。命が残るかどうかは紙一重です。それが戦場なのです。
そんな場所へ兵士を送り込む為政者に、どれほどの責任があるか。戦闘の回避に全力をかけるのが絶対であり、それ以外の選択肢を安易に想定するべきではないでしょう。簡単に「お国のために」といえるものではないと思います。
2018年3月22日 記
2019年1月11日 追記
※このブログのコンテンツを整理したポータルサイト信州戦争資料センターもご利用ください。
※WEB上でモノクロ写真をカラー写真のように加工できる、ニューラルネットワークによる自動色付けを試しています。早稲田大学の飯塚里志さま、 シモセラ・エドガーさま、石川博さま、関係各位に熱く御礼いたします。公開方法については、首都大学東京准教授の渡邉英徳さまにご示唆をいただきました。ありがとうございました。
※他の自動色付け写真はこちらの一覧からごらんください。
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